どんな人にも苦手な事がある。
これとこれは得意なんだが、コレは苦手だ‥ということは珍しくない。
基本は得意なものを伸ばして、欠点を補う。
しかし、苦手なものと向き合わなければいけない時が必ず来る。
そんな時は人の2倍努力しなくちゃいけない。
一般の人が、1時間で出来ることなら、2時間かけてでも、それをマスターする。
一般の人が5回で覚えることが出来るなら、10回やって確実に自分のものにする。
私は、歌を歌うのだが、歌詞を覚えるのが苦手だ。
多分、人より記憶力があまり良くないと思う。
だから、目一杯練習する。
朝昼晩と、仕事中に余裕がある時は呪文のように繰り返している。
それでもなかなか覚えれないので、1週間、2週間続ける。
結局、1ヶ月ぐらいたたないと自分のものに出来ない。
人の倍やって、ようやっと人並みだ。
苦手なことは、人の倍やればいい。
人の倍、意識すればいい。
出来ないからかといって、諦めてはいけない。
「コレをやってくれ!」
与えられたり、やれと言われたものは比較的、やりたくない。
逆に自分で良いと思って、やることは、疲れ知らずで出来る。
楽しいから動きまくれるし、疲れない。
やらされる時は、物事の重要性を理解して、
「自分でやりたい」
に変える事が出来るかが大切だ。
何でもやりたいからやる。
他人のペースに巻き込まれると、疲れたと感じやすい。
いかに自分のやりたい事に変えて、自分のペースで出来るかだ。
私は筋トレをよくしている。
特に、トレーナーをつけるでもなく、自分で筋トレマシーンを選んで、好きな事を好きなだけやっている。
筋トレをしていて思うのだが、どのくらいの重さをどれだけやったらちょうど良いのだろうと‥
( ̄〜 ̄)ξ
こんなものだろうと、このくらいがちょうど良いと、自分で決めている。
しかし、どのくらい追い込むのか人に聞いてみたら
「空手の合宿では、もう筋肉痛で足が上がらなくなるくらい追い込むんだ」と、言われて気付いた。
Σ( ̄□ ̄;)
まだまだ自分は追い込めるって‥
まぁ、私は合宿をしているわけではないが、毎日が戦いだとは思っていた。
しかし、最近そこまで必死にやっていなかった事に気付かされた。
どんな事でもそうだけど、当たり前のレベルが違う事は恐ろしい。
例えば、プロの人の練習量と比較して、やっぱり、プロの人はそれだけの練習をしている。
その練習量で追い付けるのか?
ましてや、追い込さなけりゃいけない立場だ。
1人で自分を追い込むのはとても難しい。
どうしても甘え、妥協しがちになってしまう。
自分で厳しく出来れば良いが、先生というか、トレーナーが必要だ。
どんな事でも、どれだけ、どのくらい出来るのか?
ギリギリまで限界を伸ばしたいと思う。
壁を越えるために。
常に自分との戦いだ。
筋トレも、仕事も、痩せることも、告白する勇気も、何かを極めることも‥
今、少し筋肉痛の体に少し満足しながら、また筋トレをしている。
きっとまだ強くなる‥
‥‥。
っていうか、筋トレよりも、歌の練習をもっとしないといかんなぁ‥
(;^_^A
自分を信じて行動出来ていますでしょうか?
自分を信じて行動する事は大切だ。
真っすぐに迷わないで、進める人はとても強そうに見える。
でも、自分を信じるには、いろんな方向から考えて、正しいことをしなくてはいけない。
信じすぎで、間違っていても気付けないこともある。
自分を疑い、確認しなくてはいけない。
なかなか自分を信じ続けることも難しいし、間違っている場合は、素直に謝らなくてはいけない。
本当に正しい事は何なのか?
本当に正しい事をするには、魂に従えばいい。
でも、一般的に考えが多い方が正しいと感じてしまうし、自分の意見も流されてしまいがちだ。
でも、本当に、心に魂に、神様に対しても、それでいいと誓える事をする事が、大切だと思う。
誰かが言ったからでも、みんなが言ったからでもない。
正しいと感じたことをどれだけできるかと、考える人が増えれば、世の中は変わって行くと思う。
自分の為に自分さえ良ければという感覚が、1番危険だ。
自分の家族を愛する、思いやる事が、はじめの1歩だと思う。
そんな気持ちが、周りの友人や仕事仲間に伝われば、思いやれる想像力があればいい。
テレビの中で偉大な人が言う。
「今の世の中は想像力が可欠し始めている。自分のしたことや言葉が、どういうふうに相手に伝わっているか考えれていない。」と。
「詩や文章を読んで、どれだけその世界を感じることが出来るか。」と‥
もう1度、自分を見つめ直して、心から、魂から、神様にも誉められるような、自分であれたら、
自分を信じていいと思う。
自分を信じれば、人は強く強く生きていける。
信じた自分が正しいと、思えれば、より強い力を出せる。
本当の強さがそこにある。
自分を信じる事は大切で、難しい。
人は親になって誰しもが、子供への愛情を知る。
産まれたたばかりの子供への愛情は、太陽そのものだ。
でも、社会の中では北風でいる方が楽だし、一見強そうに見える。
争いは日常だし、ぶつかってくる人は強い印象を残す。
じゃあ、ぶつかりあって叩き潰せば良いのか?
自分の子供には向けれる愛情は、他人には向けられないのか?
‥‥
優しい太陽は生温いお風呂みたいに思っていたら、大間違い。
かける愛情に答えて行くほうが、大変。
強く言われないから、意味をキャッチ出来なければ、見捨てられる。
本当にやりぬく事が出来る人が、愛情を受けつづけ、のびのびと成長して行く。
叩かれてへこんでいる時間も、もったいないんだ。
人生と若さは短い。
出来るうちに、どれだけ成長して行くかが大切。
周りはぶつかり合って戦っている間に、すくすく成長して行く人は、本当に恐ろしい。
太陽は強くて本当に厳しい。