17/09/28 10:05 (:美術)
  東博の雲龍図



作者の岩佐又兵衛はあやふやな記憶だと安土桃山時代から江戸時代くらいの人。
大河ドラマの軍師官兵衛で信長を裏切って逃げた家臣の一族が、家臣の奥さんを含め女子供もろとも皆殺しにあった中、家臣の息子であった岩佐又兵衛だけ生き延びて後に絵師になったそう。
官兵衛で皆殺しシーンがあまりにトラウマだったので、あれを思うと彼の絵の何とも言えない独特な雰囲気の理由がほんのり分かる気がします。

話題:美術館・博物館


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