『恋人たちを見守る10題』(阿部→)A



【10:本人達が幸せならいいんだけどね】






そして中学での3年間は、あっというまに過ぎ、受験が迫ってきた。
先生と進路のことを話しているときに、自分と同じ学校を受験する生徒の中に、栄口もいることを知った。
こうして、進学する高校が同じという接点ができたのだが、それは、もう中学生活も終わりに近かい頃だった。
受験の日当日、オレは初めて栄口に話し掛けた。

「栄口…くんは、西浦高校が第一志望?」
「あ、うん」
いきなり話し掛けられて驚いたのか、栄口は少し肩をすくめてオレを見た。大して身長は変わらないのに、上目で見るのは栄口のクセらしい。

「阿部君…だよね?」
「え?あ、あぁ」
「戸田北のキャッチャーだった阿部君だよね?」
「そう、だけど…」
「やっぱそうなんだ」
「オレのこと知ってんの?」
「そりゃ知ってるよ。戸田北強かったじゃんか。オレ、試合とか見に行ってたんだよ…っていうかさ、そっちこそなんでオレのこと知ってんの?」
「いや、それは…」

その経緯は、話すには長く、言いにくいことも多々あって答えに困っていたら、「同じ学校に3年もいたんだもんね。顔くらいは知ってるか」と笑ってくれたので、ほっとして本題に入った。

「あのさ、もし西浦受かったら、一緒に野球やんねぇ?」
「え?ここ、野球部ないんじゃなかったっけ?」
「聞いてねぇ?西浦は硬式の野球部が新しくできるんだよ、っていうか作るんだよ、オレたちが」

栄口は驚いたように、大きな目をパチパチと瞬かせたあと、「いいねぇ。なんか映画みたい」と、言い「オレ、ホントはまだ野球やりたかったんだ」と、にっこりと笑った。
あぁ、こんなふうにも笑えるんだ、とオレは思った。そして、どこか安心もした。
本当に楽しそうに笑っているのを、こんな近くで見たのは初めてだった。






そうして、無事合格したオレ達は、春休みからグラウンドに向かう約束をした。
どのくらい放置されていたのか、一面に雑草が茂っているグラウンドを見て、思わずため息が零れた。

「野球よりも、まず草抜きから、だね」
「だな」
と、2人で顔を見合わせて笑った。

グラウンドの整備(草抜き)をしている途中、暇つぶしにいろんな話をした。初めのうちはほとんどが野球の話。オレ達にはそのくらいしか共通することがなかった。そのうち、くだらない雑談のようなものもするようになった。
話してみると、栄口は思っていたよりもあっけらかんとしていて、よく喋り、よく笑うやつだった。中1の時の泣いている印象が強すぎて、どこか薄幸そうなイメージがあったのだが、そうでもないらしい。

ただ、一度、オレの自転車がパンクしてうちの母親に送り迎えしてもらったとき、電車で通っていた栄口も一緒に帰ったことがあって、その車の中で、一緒に来ていたシュンとうちの母親が話してるのを見ていて、一瞬だけ寂しそうな顔をした。
やっぱりまだ、こういう顔するんだな、そして、すぐ誤魔化すように笑うんだ、と思った。







おおまかに草抜きも終わった頃、マウンドの土を盛って均してたら栄口に呼ばれて、オレは顔を上げた。
「阿部ー!いっくよー」
ゆるくではあるけれど、いきなりボールが飛んできて、驚きながらもなんとか素手で捕る。
「なんだよ」
栄口がグローブをしているのを確認して、思い切り投げ返した。パンッといい音を立ててボールがおさまった。

「なんか、モモカンが差し入れ買ってきてくれるらしいから、それまで休憩だって。気分転換にキャッチボールしよ?」
グローブを取りにいこうかと思ったら、「持ってきたよ」と、栄口が投げてよこした。

ただボールが行ったり来たりするだけなのに、キャッチボールは楽しい。
投げ方、捕り方、ボールの軌道、いろいろ考えていると、ふいにオレって野球好きだよなぁと改めて思う。
栄口もそんなことを思ったりするだろうか。

オレはわざと高く放り投げた。その日はよく晴れていて、ボールの行方を追うと目が眩むほどだった。高く上がったボールは青い空に白い放物線を描いて栄口に届く。

「なにー?フライ捕る練習?」
と栄口が笑った。
野球をやっている時の栄口は本当に楽しそうで、オレは嬉しかった。


しばらくして、モモカンの声が聞こえたので、どちらからともなくキャッチボールをやめて、ベンチに向かう。並んで走っている途中、栄口がなんかくすくすと笑っているので「なんだよ、気持ち悪ぃな」と言ったら、「ほら、あそこ」と栄口が振り返った。
その視線の先には、この距離だと髪が茶色いくらいにしか認識できない誰かが立っていた。

「さっきから、ずっと見てるんだよ」
「誰?入部希望者?」
「そうかも。でも、フェンスの柱のかげからこそっーと見てるし、帰ろうとしてまた戻ってきて見てたりしててさ、まだ迷ってるんだろうね」
「はっきりしねーやつだな」
「まぁまぁ、こんなグランド見たらふつう悩むって」
いまだ草が伸び放題の外野を見て、それもそうかと苦笑いする。

「入ってくれるといいね」
「そうだな」

部員数が足りないのも困るけど、あんまり適当なやつに来られてもこまるんだけどな。とりあえず、春休みにこんなところまで見にくるのなら野球は好きなんだろう。もしかしたらいっしょに野球をすることになるかもしれない、とは思ったものの、あまりにも遠くて印象が薄かったので、あっという間に忘れてしまった。






入学式が終わって数日過ぎると、野球部にも何人か集まり始めた。それでもまだ、足りていなかった。
やばいな、宣伝が足りなかったか。
なんせ部員はオレと栄口の2人だけ、グラウンドの整備で精一杯で、そこまで気も手も回らなかったのだ。今からでも勧誘に行くか、とか考えていたら、「部員2人増えたよー」と栄口が、グラウンドに入ってきた。その後ろに確かに2人ついてきている。そのうち一人は見覚えがあった。
名前は覚えていないが。同じクラスのやつで、全然野球してるように見えなかったから声もかけていないはずだ。
そいつは栄口が取りに行った荷物を持つのを手伝っていたらしく、後にくっついてベンチに入っていった。
荷物を置いた栄口がつかつかとオレの方に向かって歩いてきて、「あいつ阿部と同じクラスじゃんか。なんで誘わなかったの?」と言った。

「だって、野球やってるようにぜんぜん見えねぇじゃん」
「でも、春休み見にきてただろ?」
「は?」
「ほら、外野からこそーっと見てたやつだよ」
そう言われて、ぼんやりと茶色い頭を思い出した。

「あぁ。いたな。あれ、あいつ?」
「そーだよ。もー阿部は興味のないことは、全然憶えてないんだから」と栄口は笑った。

あの距離で、顔を覚えてるほうがおかしいだろ。と、思ったけど、栄口が妙に嬉しそうだったから、口にするのを止めた。

今思えば、あの時すでに、水谷は栄口の琴線のようなものに触れていたのかもしれない。顔はよく見えてなくても雰囲気だけで水谷だとわかるくらいに。








続きます…








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