先日つらつらーっとツイッタでぼやいたことをちょっと自分なりに纏めてみる。


最近は別垢と言うか別のジャンルでばっかり更新していますね。どうもお久しぶりです^^←
そちらでも、まぁこのサイトをやって居る時も良く良く言われている事があるんですが、逆にその質問の意味が良く解らない時が私にはあるんだよね、ってはなし。

良く言われるのが、「更新頻度」のはなし。
一日一回更新と言うか、短いけれど一作更新してたりとかよくしてます、私。特にはまりたての頃ね!!
遅くて三日とか四日とか。大体PCに触れなかったり時間が無かったりで、小説は書いてるんだけどうpまでいかないってだけ。なので更新する時は二つとか三つとかあげてたりしてます。
でも、それって私の中では割と普通の事なんだよね、そんなに早いかな?
いや、私は多分他の普通に生活をしていらっしゃる皆様より暇なんだとは思うんだ。仕事とかはしてるけれど、純粋にPCに向かう時間が多いんだと思うの。PCに向かって作業してる時間って言うの? よくわかんないけど。

ただ、私にとって「創作」をするっていうこと、「妄想」したり「構想を練ったり」っていう作業が、日常の中で当たり前になってるんだよね。だから後は単に出力を頑張るしかないんだよなーっておもうの。だってそうじゃないとネタは直ぐ鮮度がなくなるから。萌えてる時じゃないと自分の中で腐って意味の無い塊になってしまうから。勿体無いでしょ?

「創作」するってこと、「小説を書く」ってことが、私にとってはもう生活の一部だから、「生きる」ことと「活かす」ことに繋がってるんだよなーっておもった。そりゃ勿論辛い時もあるし難しいって思うしよく詰んでるけれど、嫌いじゃない。
息することと同じまではあれかもだけれど、多分生きるうえで大事な「食べること」よりは大事に思ってるかもしれない。ご飯とかは後でいいからいま、「書きたい!」って気持ちを優先する事は沢山あるもの。

だから、毎日更新するって普通だと思うの。普通ってのは世間一般的にじゃなくて、私の中でって話ね? 当たり前に頭の中、その隅っこでもいいんだけど、何時も何時も考えているから、それを集中して書き出していれば、短くても一作は書けると思う。もちろん、丁寧に言葉を選んで書いている人の文章はとても熟成されていて、かっこいいなーって思う。
ただ、私の書き方と言うかスタイル?がそう言うのなんだって最近良く思うの。
書いてて楽しくて一杯書きたくてだから更新してるんだけど、割と沢山の人に「無理してない??身体壊してない?」って聞かれるからさww
無理してないよ!!むしろ書く時間が足りなくて困ってるくらいだよ!!ww

なんていうかね、小説を書かないというか、お話を考えないとか、そう言うこと自体が考えられないなって思った。書きたい気持ちが全然無くならなくて、沢山書きたくて、一杯書きたくて、沢山を伝えたくて。それで何かが得られたって言ってもらえたら、すごい幸せなことだなって思うの。
私、書くことって大好きなんだ。


あとね、自分の好みと言うか、萌えの性質上「ぐろいの」とか「痛いの」、「報われないの」って避けてるところがある。それは単に私がお話とか小説とかそう言うものに「希望」を求めているからなのね。
創作物には「裏と表」があってこそで、絶望もあるけれど希望も無いと意味が無いかなって思うの。何処かで救いを求めるの。読者の人が読み終わったあとに「何か」をその胸に残してくれるような作品が書きたいなって思う。それが心の支えになってくれたり、導になってくれたりしたらいいなっておもう。
「裏」の部分や「絶望」だけを描いて何かを残せる人は天才だって思う。でも私は決して天才じゃないから、「表」の部分や「希望」を描くことで誰かの心に何かを残したいなって思う。私が触れてきた作品たちにそう言うものが多かったのもあるし、私がそう言うものを心の支えにしてきたこともあるんだけど、だからこそ私は今度は誰かのそんな支えになりたいなって思うの。

もちろんそれは誰かの趣味思考や萌えを否定したいわけじゃない。
ただ「私」が、例えば「傷つけること」にも「奪うこと」にも「命を奪う」ことにも理由が欲しいだけなんだ。それと同じように「好きになる事」にも「愛すること」にも「幸せになる事」にも理由が欲しいだけなんだ。
そう言うものを、描きたいだけなんだ。そういうものを、誰かに伝えたいだけなんだ。

私はね、ただ「創作」をすることに、自分に出来る限りで真摯に向き合いたいなって、そう思うんだ。

創作が、ただ好きなんだ。