雛菊の蕾-15(最終話)-(黄受)


※以前発刊した“雛菊の華”の前日譚です。
※あくまで前日譚なので、これ単体でも読めると思います。
※いわゆる遊郭物。黄瀬くんが不憫です。



店先で帳簿を付けている黒子の横に、紫原が座り込んでいる。その頬は、どの角度から見ても膨らんでいる。わかりやすくご機嫌斜めの妓夫見習いの少年を、近くを通る店の人間や遊女たちが、あらあらと言った様子で笑っていった。黒子は全く気にすることなく、ひたすらに筆を動かしている。

比較的静かな昼見世時、多くの人々が穏やかな時間を過ごす中で、紫原だけが不穏である。

「ちいーっす、手紙届けに来たぞ」

暖簾をかき分け、青峰が顔を出す。麻の袋から椿屋宛の手紙をがさごそと取り出し、「お仕事ご苦労様です」と出迎えた黒子へと手渡す。いつも通りに手紙の差出人を確認する黒子の横で、紫原は変わらず不機嫌そうなままだ。青峰が疑問符を浮かべる。

「紫原、オマエ、何でそんな機嫌悪いんだ?」

「別に。峰ちんには関係ないし」

「紫原君は、黄瀬君のことでずっとご機嫌斜めなんですよ」

文机の上に手紙を分類分けしながら並べつつ、黒子がさらりと答える。途端、紫原がだんっと強く床を打って立ち上がった。

「だってそうじゃん!何で?!何でこの間から何も変わってないのさ?!」

まさに癇癪玉が破裂したかのごとく、紫原は黒子へと食ってかかった。何度か見たことのある光景を、青峰は黙って見守ることにする。

黒子の言葉通り、紫原は黄瀬のことでここ数日機嫌が悪かった。ことの発端は数日前、黄瀬の幼なじみだという少年が椿屋に現れたことだ。

「この間の緑のやつ、黄瀬ちんの幼なじみでずっと黄瀬ちんのこと探してたんでしょ?じゃあ、見つけたんだから黄瀬ちんのこと連れて行くでも、あいつに黄瀬ちんのことを渡すでもすればいいのに!あれから何も変わってないじゃん!」

緑間真太郎との再会を経てからも、黄瀬は変わらず椿屋で客を取っている。昔の馴染み客や、馴染み客から情報を得た乱暴な男たちに体を開き、そして傷付いている。それが、紫原には我慢ならない。

「君は、黄瀬君に出て行ってほしいのですか?」

「そんなわけないじゃん!オレだって、黄瀬ちんとは一緒にいたいと思ってるよ。でも、オレのことなんて別にいいの!」

黄瀬ちんが幸せであることが一番よくて、黄瀬ちんが辛いことが一番嫌なの、と紫原が叫ぶ。基本的に我儘で自分が一番という紫原にしては、随分と健気なことを言うものだ。青峰は素直にそう思う。

「随分仲良くなったんだな。黄瀬ってあれだろ、この間から椿屋に入ってるオレ等と同い年くらいの男娼のことだろ」

「ええ、そうです。青峰君も今度会ってあげてください。年近い友人は多い方がいい」

手紙の仕分けを終え、再び帳簿を付け始めた黒子の横で、相変わらず紫原はむうむうと怒っている。はあ、と黒子はこれ見よがしに溜め息を吐いてみせる。

「そう簡単な問題ではないのですよ、紫原君」

帳簿からは目を離さず、黒子は続ける。

「もしも黄瀬君が自ら出て行きたいと言えば、いくらでもボクたちは支援します。その気持ちは変わっていない。ただ、全ては彼の気持ち次第なんです」

黄瀬が何を思って、これからどうしたいと考えているのか。全てはそれ次第だ。黒子はそっと目を細める。幼なじみとの出会いは、間違いなく黄瀬によい影響を与えた。

だが、それで全てが解決というわけでは勿論ない。それほどまでに、黄瀬が抱えているものや負ってしまっているものは大きく深い。

わかっているのかわかっていないのか、紫原は思い切り口をへの字にして口を閉ざす。ぷくり、と再び頬が膨らんだ。

「紫原君、それより何より、君はそろそろお使いに行かなくてはいけないのでは?」

「行くし!」

「なら、早く行ってきなさい。夜見世までには戻ってきていただかなくてはならないのですから」

「わかってるもん!」

ぷんぷん、と怒りながらも、紫原はお使いの準備のために店の奥へと向かおうとする。しかし、数歩進んだところでぴたりと足を止めた。爪先で器用に振り返り、黒子へと尋ねる。

「ねえねえ、黒ちん。このお使いさ、黄瀬ちん連れて行ってもいい?」

「誰かに絡まれないように気を付けていただけるなら、構いませんよ」

「わかった!」

先までの不機嫌さが嘘だったかのように、紫原は浮き足だって店の奥へと入っていった。部屋から事前に渡されていた金と文を取り、次いで黄瀬を探す。おそらく大部屋にいるだろう、と思い遊女たちがくつろいでいる大部屋へと向かうと、案の定、黄瀬は禿たちと一緒に千代紙遊びをしていた。

「黄瀬ちん、一緒にお使いに行こう?」

「お使い、っスか?」

紫原の誘いに、黄瀬が驚き目を瞬かせる。

「でも、オレここから出てもいいんスか?」

一般的に、遊女が勝手に花街の外に出ることは禁じられている。下手をすれば逃亡をしたと見なされ、酷い折檻を受けることになってしまう。

「大丈夫だよ、黒ちんにも許可もらったもん。だから、お出かけしよう」

「でも…」

黄瀬がちらりと周りを見回す。おそらく、花街から出ることができない彼女たちに遠慮をしているのだろう。それを感じ取った千賀鈴が、笑いながら黄瀬の背を軽く叩いた。

「行ってきなさいよ、涼太。あとでお土産話聞かせてちょうだい」

「お土産!お土産ほしいです!」

「涼太、お土産持ってきてください」

きらきらとした瞳の禿たちにまでそう言われてしまっては、逆に外に出ない方が申し訳なくなってくる。黒子の許可も取れているようだし、ここは素直に誘いに乗るのが最良なのだろう、と黄瀬は判断する。

「それじゃあ、行ってくるっス」

遊女たちに見送られながら、紫原に連れられて椿屋を出る。そう言えば、自分の足で外に出るのはどれくらいぶりになるのだろう、と思いながら、黄瀬は向川遊郭の大門を潜った。



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