有名なボカロ曲「十面相」(nico.ms)の解釈が分かれているそうなので、私なりの解釈を書きつづってみます。みました。はい。
この記事を書いた時は知らなかったのですが、公式に見解が出ているそうなのです(初音ミクwiki www5.atwiki.jp)。でも、解釈は色々あっていいじゃないということで。せっかく考えた私なりの解釈を、晒しておこうと思います。
「♪」は歌詞引用です。考察の参考にしたのはあくまで元動画のみ。お前それ妄想じゃね、っていう突飛な解釈もあるので、あくまでこういう考え方もあるんだなー程度でお願いします。



・2人目はだぁれ?

まず説明のため、動画のイラストで推測できるそれぞれの人格をリストアップしますね。

1・おとなしい娘「♪最初の私はおとなしい娘」より
2・(歌詞でも動画でも触れられていない)
3・明るい
4・ツンツン
5・セクシー
6・ダルデレ?
7・凶暴
8・ビッチ?
9・森ガール? まったりおっとり
10・泣き虫

で、これらの人格とは別に、動画内ではさらに、

11・間奏で走っている、必死なグミ
12・パンダと向き合っていたり、「♪元の一人よ」で残っていたりする、無表情のGUMI
(どちらも歌詞で存在の明言はされていないが、動画内でははっきり登場しているため一つの人格としてカウント)

がいます。
この番号は便宜上私が勝手につけてみました。11と12は外見一緒なのですが、表情が全然違うんですよね。これって、それこそ性格が違う、人格が異なると言えると思うのです。よって、2つの人格として分けてみました。



さて、初めに私が気になったのは、この2番目の人格はいったい誰なのか、です。
私は、この2番目の人格が、主人格を担っていると考えました。
主人格について一応、補足します。この曲の場合、人格を変化させても、彼のことが好きなことやグミがグミであること、そういった根本のところは変わっていませんよね? 何度も彼にアタックしにいっていますし、グミはたくさんの自分をすべて「♪私たち」と理解していますから。そういう、いわゆる元々本来のグミの人格を、主人格とここでは呼ぶことにします。

で、この主人格をなすと考えられる、2番目の人格とは、上記で11としているグミだろうと思います。あの必死に走る様子は、何度も彼のところに通うグミを表しているのでしょう。つまり、2番目の人格=11番目の人格。

しかし、こうすると問題が出てきます。
上記で12番目とするグミの行き場が無くなってしまうわけです。
ここで自分は、この12グミは、他の人格が統合された後(「♪おかえり」の後)の、新しいグミの誕生を表しているのではないかな、と考えてみました。単純に、全部の人格が集まったあとは元々の主人格グミに戻るのだとして、11=2人格グミと12グミを同一視しても良いのですが、どうも私はしっくりこないのです。必死なグミと無表情のグミの温度差が強く印象に残っているからかもしれません。

とりあえず、12グミは主人格ではなく新たに誕生したグミである、というこの説を深めていくべく、以下では他の点についても触れてみます。





・「♪私は多重人格? 微笑んでいるのはなぜ?」

このフレーズ、初めて聴いた時、ドキッとしました。
これを考える前に、それまでの歌詞について触れてみましょう。
「♪3、受け入れたくない記憶を〜」から始まり、「♪10人の人格〜」まで続く数字のカウント。これは人格を数えているというのもあると思うんですが、私は思いこみからだんだんと本格的な人格分離が始まっていくカウントでもあると思うのです。

「♪3、」から「♪6、」までは「♪別の人格とみなし」「♪他人事のようにふるまい」などなど、自覚しつつもあえて別人のふりをするような描写が続きます。まだ他の人格を認識しつつも、分かっていてやっている、そんなニュアンス。「♪自分を守った」とまで歌ってあるのですから、自分の都合の良い方に考えをねじ曲げ、自分で自分は別人だと思いこもうとしている段階とも言えるでしょう。
けれども、「♪7、」「♪8、」の辺りで少々変わってきます。「♪7、記憶の共有はされない」「♪8、互いの存在も知らない」ことになってしまう。つまり、別人のふりをするつもりが完全なる別人になってしまった――思いこみが真実に変わる段階――に至ってしまうのです。ここでグミは本当の意味で多重人格になったのでしょう。

しかし、グミは「♪私は多重人格?」と自問しています。そもそも「♪7、」「♪8、」の段階に来てしまったのなら、自分が多重人格なのだとは気づけないはずなのです。他の人格がわからないのですから。なら、グミはなぜ自分が多重人格だと気づけたのか。愛する彼が「♪人格は一つしか選べない」と言ったからかもしれません。これをきっかけに、グミは気づきます。

「♪微笑んでいるのはなぜ」の部分が確信に至った時を表しているのでしょう。ここで自分の思い込みに気づいて、一人芝居の馬鹿馬鹿しさに笑えて、「♪微笑んで」しまうのです。



・「♪私は元の一人よ」の「♪元の一人」は主人格なのか?

主人格はラストの「♪元の一人」なのか。つまり、人格が一つになった後のグミは、たくさんの人格が産まれる前のグミと同一なのか。私は、違うと思います。

この曲の歌詞、よく見るとわざわざ1と一を使い分けている部分があるんですね。「♪1つの愛を手にする事が役目なら」のところだけ、1がアラビア数字なのです。他は漢数字。このアラビア数字の1は、主人格に関係するからあえて別にしてあるのかな、と思いました。
「♪
君の中の一人だけを愛しましょう」の一は10人のうち誰でもいいけど一人だけという意味。「♪僕は一人の人しか愛せない人格は一つしか選べない」も同じニュアンス。
「♪1つの愛」は最初、つまり人格が分かれる前の、主人格のグミが欲しかった愛。そもそも「♪私の中の十人」は「♪1つの愛を手にする事が役目」なのです。その人格なりに分かれた、人格によって異なる形の愛ではなく、たった1つ、最初に欲しかった愛を手に入れるために、グミは頑張っているのです。それなら、この愛は特別、誰でもいいわけではありません。
こんな風に、1は主人格だけのもの、一はそれ以外、といった具合にして、1または一は使い分けてあると思うのです。

ですから、「♪
私は元の一人よ」の部分の一は漢数字である以上、主人格とは離れたものなのだと考えます。つまり、元の一人=主人格ということではないのだろうと。

なら、元の一人って何なんだって話になりますよね。
これは、人格が多数作りだされる前の、元々の通り一つの人格しかない、中に何人分もの人格があるわけでもない、身体も人格も一人分のグミ、という意味ではないかなと思います。この一人は単純に、言葉通りで、裏に主人格なんてものは含まれていないのだろうと、解釈しました。




・結局新しいグミって何?

そろそろ、上記で述べました、12番目の人格のグミに帰結しましょう。

「♪さよなら おかえり」でグミが持つ人格は一人分に戻ります。「♪さよなら」はきっと、多数の人格とのお別れでしょう。そこには2番目の人格=主人格だって含まれるのではないかと自分は考えます。

主人格まで別れてしまっては、グミはグミとして成り立たなくなってしまうのでは?
いいえ、別れた後、グミはすぐに「♪おかえり」と歌います。全ての10の人格は、別れた後、帰ってくるのです。
この時帰ってくるのが主人格だけなら、グミはまた、何かがあるたびに人格を分裂させてしまう困った子になってしまうと思いませんか? だから、帰ってきたのは全部の人格だと、自分は考えています。

ただ、全部の人格がグミの元に帰ってくるなら、グミの人格は分裂したままになってしまうのでは?
ここで思い出して欲しいのが、前半の「♪恋に敗れて感情を閉ざすの」の部分です。
恋が叶ったのなら、感情はもう閉ざさなくても構いませんよね。「♪みんなで笑いましょ」というように、少なくともグミには笑顔が戻ってきているはずです。このように、「♪おかえり」の部分で、別人だった10人が、グミの中に以前閉ざしてしまった”感情”として戻ってくる。このフレーズはそういうことを表しているのではないかなと思います。



気分屋な人って、時には別人みたいになりますよね?
嫌いな人相手と好きな人相手だと態度が変わる人っていますよね?
そういう、まるで多重人格のような、感情のあるごくごく普通の人にグミは戻れたのではないかと思うのです。

そしてこの恋愛で、グミは分裂し、再び統合されました。
一度何かを経験した以上、経験する以前の自分と経験した後の自分は別物です。
ですから、経験する以前のグミが11番目のグミ、経験した後のグミが12番目のグミという説を自分は抱いたのです。

……もう、一人に戻ったグミを12番目と呼ぶのもおかしいかもしれませんね。
だから、上記にてこのグミを私は、新たに誕生したグミとして称しました。


たった一人分の人格しか持っていないグミ。
でも、感情はたくさん溢れていて、時には十面相にもなる。
そんな恋する女の子の激動のラブストーリーな曲こそが、この「十面相」なんじゃないかな。



とまあ、こんな感じで。
以上、自分勝手な解釈でしたー。
長々とお付き合い感謝!