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十面相の考察解釈(11/24加筆)

有名なボカロ曲「十面相」(nico.ms)の解釈が分かれているそうなので、私なりの解釈を書きつづってみます。みました。はい。
この記事を書いた時は知らなかったのですが、公式に見解が出ているそうなのです(初音ミクwiki www5.atwiki.jp)。でも、解釈は色々あっていいじゃないということで。せっかく考えた私なりの解釈を、晒しておこうと思います。
「♪」は歌詞引用です。考察の参考にしたのはあくまで元動画のみ。お前それ妄想じゃね、っていう突飛な解釈もあるので、あくまでこういう考え方もあるんだなー程度でお願いします。



・2人目はだぁれ?

まず説明のため、動画のイラストで推測できるそれぞれの人格をリストアップしますね。

1・おとなしい娘「♪最初の私はおとなしい娘」より
2・(歌詞でも動画でも触れられていない)
3・明るい
4・ツンツン
5・セクシー
6・ダルデレ?
7・凶暴
8・ビッチ?
9・森ガール? まったりおっとり
10・泣き虫

で、これらの人格とは別に、動画内ではさらに、

11・間奏で走っている、必死なグミ
12・パンダと向き合っていたり、「♪元の一人よ」で残っていたりする、無表情のGUMI
(どちらも歌詞で存在の明言はされていないが、動画内でははっきり登場しているため一つの人格としてカウント)

がいます。
この番号は便宜上私が勝手につけてみました。11と12は外見一緒なのですが、表情が全然違うんですよね。これって、それこそ性格が違う、人格が異なると言えると思うのです。よって、2つの人格として分けてみました。



さて、初めに私が気になったのは、この2番目の人格はいったい誰なのか、です。
私は、この2番目の人格が、主人格を担っていると考えました。
主人格について一応、補足します。この曲の場合、人格を変化させても、彼のことが好きなことやグミがグミであること、そういった根本のところは変わっていませんよね? 何度も彼にアタックしにいっていますし、グミはたくさんの自分をすべて「♪私たち」と理解していますから。そういう、いわゆる元々本来のグミの人格を、主人格とここでは呼ぶことにします。

で、この主人格をなすと考えられる、2番目の人格とは、上記で11としているグミだろうと思います。あの必死に走る様子は、何度も彼のところに通うグミを表しているのでしょう。つまり、2番目の人格=11番目の人格。

しかし、こうすると問題が出てきます。
上記で12番目とするグミの行き場が無くなってしまうわけです。
ここで自分は、この12グミは、他の人格が統合された後(「♪おかえり」の後)の、新しいグミの誕生を表しているのではないかな、と考えてみました。単純に、全部の人格が集まったあとは元々の主人格グミに戻るのだとして、11=2人格グミと12グミを同一視しても良いのですが、どうも私はしっくりこないのです。必死なグミと無表情のグミの温度差が強く印象に残っているからかもしれません。

とりあえず、12グミは主人格ではなく新たに誕生したグミである、というこの説を深めていくべく、以下では他の点についても触れてみます。





・「♪私は多重人格? 微笑んでいるのはなぜ?」

このフレーズ、初めて聴いた時、ドキッとしました。
これを考える前に、それまでの歌詞について触れてみましょう。
「♪3、受け入れたくない記憶を〜」から始まり、「♪10人の人格〜」まで続く数字のカウント。これは人格を数えているというのもあると思うんですが、私は思いこみからだんだんと本格的な人格分離が始まっていくカウントでもあると思うのです。

「♪3、」から「♪6、」までは「♪別の人格とみなし」「♪他人事のようにふるまい」などなど、自覚しつつもあえて別人のふりをするような描写が続きます。まだ他の人格を認識しつつも、分かっていてやっている、そんなニュアンス。「♪自分を守った」とまで歌ってあるのですから、自分の都合の良い方に考えをねじ曲げ、自分で自分は別人だと思いこもうとしている段階とも言えるでしょう。
けれども、「♪7、」「♪8、」の辺りで少々変わってきます。「♪7、記憶の共有はされない」「♪8、互いの存在も知らない」ことになってしまう。つまり、別人のふりをするつもりが完全なる別人になってしまった――思いこみが真実に変わる段階――に至ってしまうのです。ここでグミは本当の意味で多重人格になったのでしょう。

しかし、グミは「♪私は多重人格?」と自問しています。そもそも「♪7、」「♪8、」の段階に来てしまったのなら、自分が多重人格なのだとは気づけないはずなのです。他の人格がわからないのですから。なら、グミはなぜ自分が多重人格だと気づけたのか。愛する彼が「♪人格は一つしか選べない」と言ったからかもしれません。これをきっかけに、グミは気づきます。

「♪微笑んでいるのはなぜ」の部分が確信に至った時を表しているのでしょう。ここで自分の思い込みに気づいて、一人芝居の馬鹿馬鹿しさに笑えて、「♪微笑んで」しまうのです。



・「♪私は元の一人よ」の「♪元の一人」は主人格なのか?

主人格はラストの「♪元の一人」なのか。つまり、人格が一つになった後のグミは、たくさんの人格が産まれる前のグミと同一なのか。私は、違うと思います。

この曲の歌詞、よく見るとわざわざ1と一を使い分けている部分があるんですね。「♪1つの愛を手にする事が役目なら」のところだけ、1がアラビア数字なのです。他は漢数字。このアラビア数字の1は、主人格に関係するからあえて別にしてあるのかな、と思いました。
「♪
君の中の一人だけを愛しましょう」の一は10人のうち誰でもいいけど一人だけという意味。「♪僕は一人の人しか愛せない人格は一つしか選べない」も同じニュアンス。
「♪1つの愛」は最初、つまり人格が分かれる前の、主人格のグミが欲しかった愛。そもそも「♪私の中の十人」は「♪1つの愛を手にする事が役目」なのです。その人格なりに分かれた、人格によって異なる形の愛ではなく、たった1つ、最初に欲しかった愛を手に入れるために、グミは頑張っているのです。それなら、この愛は特別、誰でもいいわけではありません。
こんな風に、1は主人格だけのもの、一はそれ以外、といった具合にして、1または一は使い分けてあると思うのです。

ですから、「♪
私は元の一人よ」の部分の一は漢数字である以上、主人格とは離れたものなのだと考えます。つまり、元の一人=主人格ということではないのだろうと。

なら、元の一人って何なんだって話になりますよね。
これは、人格が多数作りだされる前の、元々の通り一つの人格しかない、中に何人分もの人格があるわけでもない、身体も人格も一人分のグミ、という意味ではないかなと思います。この一人は単純に、言葉通りで、裏に主人格なんてものは含まれていないのだろうと、解釈しました。




・結局新しいグミって何?

そろそろ、上記で述べました、12番目の人格のグミに帰結しましょう。

「♪さよなら おかえり」でグミが持つ人格は一人分に戻ります。「♪さよなら」はきっと、多数の人格とのお別れでしょう。そこには2番目の人格=主人格だって含まれるのではないかと自分は考えます。

主人格まで別れてしまっては、グミはグミとして成り立たなくなってしまうのでは?
いいえ、別れた後、グミはすぐに「♪おかえり」と歌います。全ての10の人格は、別れた後、帰ってくるのです。
この時帰ってくるのが主人格だけなら、グミはまた、何かがあるたびに人格を分裂させてしまう困った子になってしまうと思いませんか? だから、帰ってきたのは全部の人格だと、自分は考えています。

ただ、全部の人格がグミの元に帰ってくるなら、グミの人格は分裂したままになってしまうのでは?
ここで思い出して欲しいのが、前半の「♪恋に敗れて感情を閉ざすの」の部分です。
恋が叶ったのなら、感情はもう閉ざさなくても構いませんよね。「♪みんなで笑いましょ」というように、少なくともグミには笑顔が戻ってきているはずです。このように、「♪おかえり」の部分で、別人だった10人が、グミの中に以前閉ざしてしまった”感情”として戻ってくる。このフレーズはそういうことを表しているのではないかなと思います。



気分屋な人って、時には別人みたいになりますよね?
嫌いな人相手と好きな人相手だと態度が変わる人っていますよね?
そういう、まるで多重人格のような、感情のあるごくごく普通の人にグミは戻れたのではないかと思うのです。

そしてこの恋愛で、グミは分裂し、再び統合されました。
一度何かを経験した以上、経験する以前の自分と経験した後の自分は別物です。
ですから、経験する以前のグミが11番目のグミ、経験した後のグミが12番目のグミという説を自分は抱いたのです。

……もう、一人に戻ったグミを12番目と呼ぶのもおかしいかもしれませんね。
だから、上記にてこのグミを私は、新たに誕生したグミとして称しました。


たった一人分の人格しか持っていないグミ。
でも、感情はたくさん溢れていて、時には十面相にもなる。
そんな恋する女の子の激動のラブストーリーな曲こそが、この「十面相」なんじゃないかな。



とまあ、こんな感じで。
以上、自分勝手な解釈でしたー。
長々とお付き合い感謝!

CD 「星ノ少女ト幻想楽土」考察・感想・解釈まとめ

暴走PことcosMoさんのアルバム、「星ノ少女ト幻想楽土」ついに発売しましたねー!
発売日、アニメイト開店と同時に直行してお買い上げしました。
もうこのシリーズ大好きだったので、嬉しい限りです。
ちなみにストラップは冒険少女、マウスパッドは転生少女が当たりました。わーい!


で、さっそくですが、このCDに収録された曲について考察や解釈などを書きつづってみますね。
飛躍とか、お前それ妄想だろってとことか、PVと合ってないよーってとこもあるとは思うのですが、
あくまで個人的解釈の一つとして見て頂けると、嬉しいです。

「♪」から始まる文は、歌詞の引用。



・ステラVSリアリスト?

動画の方では私てっきり、このシリーズは、
ステラ(色んな少女たちに夢を見せる、理想側)VSリアリスト(少女たちに真実を押し付ける、現実側)
の構図でできているのだと思っていたのです。
けれども、『AI少女と深層心海』を聴いて、自分の考えはまったく違っていたのだと思わされました。

このシリーズは一貫して、現実を見る、真実を手に入れることの大事さを訴えかけているんだろうと。

VSじゃなくて、もう、主張はリアリスト側で、ステラはあくまで根拠づけるための、倒されることがわかっている反論みたいな。戦うどころか、最後リアリストはステラを助けに来たような形になっていましたしね。
そう考えると、ステラ、都合の良い幻にすがった少女たちがバッドエンドになっているのも納得です。
悲劇ばかりですが(そして鬱展開が大好きな私にとってはおいしいんですが)、
最後にはそれだけでないこと、むやみやたらと悲劇を連ねたわけではなくて、このシリーズの中での答えが出されていることが、素敵だと思います。




・「♪そして二人目の少女「λ」が帰ってきた」→どこに?

『AI少女と深層心海』がぐぐっと物語の真相を教えてくれましたね。
深層なだけに……すいませんでした。
このCDには入っていませんでしたが、メロディなどから『独房ステラシアタ』も関係していそうです。
独房……街の中心、プログラムのAI(核)ならば、逃げだせませんものね。
ステラもまた、他の人達から求められた理想のとおりに自分を歪ませていたのでしょう。
ステラ=少女たちに都合の良い夢を見せる街のプログラムのAI=λ 
この子も、完全に良いと思い込んで夢をまき散らしていたわけではなく、求められて、どうしようもなく、だったのだろうと思います。 だから、「♪「街のシステム」を破壊した」らようやく、自由になれた。
これを破壊して、AIステラは、λとして、現実世界に、帰ってきたのでしょう。





・λ=ステラなら、童心少女が矛盾?

街のシステムが破壊されたなら、もう、他の少女たちは都合の良い幻に囚われてバッドエンドを迎えることもないはずです。でも、童心少女では、λが登場しています。そして同時に、曲の中でステラも登場し「♪―貴女ノ 貴方タチノ ソノ不幸ニ サヨナラ―」と言っているのです。 

λ=ステラなら、λが登場している時点で、街のシステムは破壊されており、
童心少女の悲劇は起こっていないはずでは?

そう考えて、ちょっと悩んでみました。
で、思いついたのが2パターン。

【パターン1・童心少女の事件を、λたちが見直して、反省している】
λとρは童心少女の曲中で、あくまでナレーターのような役割をしています。
このナレーションは、童心少女と同じ時間軸で行わずとも、
全てが終わった後、付け加えのように、後撮りしても良いわけです。
ですので、童心少女の話は、リアリストたちにとってはもう終わった事件であり、
ステラがλとして、後々になって、可能性を奪ってしまった物語を、反省も込めて見返しているのではないかなあと。

この説は『浅紫色のエンドロール』を元に考えてみました。
この曲、ぱっと聴くと、これを聴く私たちへの語りかけの曲だと思ったんですが、
これがλの視点だったら面白いなーとも思ったのでw

【パターン2・別の星にも同じようにステラがいる】
『転生』でリアリストが「♪このような事態に陥っている星はたくさんある」と言っていたので。
ステラは色んな場所にたくさん存在していて、
童心少女ではλとはまた別のステラが同じように夢を押し付けられて頑張って幻の世界を作っていたのかも。
ただこれは、ちょっと深読みかなーとも思います。
なぜかというと、リアリストの言うたくさんの星は、ただ単に、
修道少女や電波少女など、たくさんの少女たちの一つ一つの悲劇を、
修道少女の星、電波少女の星、という風に、一つ一つの世界として言っただけかもしれませんから。
たった一つの星で色んな悲劇が起こっているのではなくて、
色んな星で一つ一つの悲劇が起こっている、ということですね。うーん、うまく言えない。伝わるかなあ。

とりあえず、このどっちかで考えたら、矛盾は解消されると思います。





・『ボクらのコスモロジー』は誰のお話?

これは童心少女のお話で集まってきた子どもたちのうちの一人…
あるいはその子たち全員の思いが集まったお話なのかなあと思っています。
ステラが童心少女の方で「♪―貴女ノ 貴方タチノ ソノ不幸ニ サヨナラ―」って言っていますから、
この「♪貴女」が童心少女、「♪貴方タチ」がコスモロジーの「ボクら」なんだろーなあ。
なんでわざわざ取りあげたかというと、ひょっとしたら電波少女の歌かもしれないなーと思ったから。
ただ電波少女は空想庭園の子でしょうから、自分で違うなって思いなおしました。
「♪げんじつに ちょっと つつかれると たやすく こわれてしまう」って歌ってるわりに、電波少女は壊れそうなとこちっともなかったですしねw





・迷子少女と転生少女のつながりって?

時間軸としては、『転生少女と転生少年』が先でしょうね。
少女が少年に転生するときに、つまり街に落ちるときに、
少女→少年 緑髪の少女→少年を愛してくれる紛い物 緑髪の少女の恋人→消滅 
というすりかえが起こったのでしょう。
さて、転生少女が現実に戻る決意をして、踏切で分かれます。
(余談だけどこの歌詞の踏切の表し方すごいと思う)
現実では元通り、緑髪の少女と恋人が仲睦まじく過ごしている。
けれども、少女が現実に帰ったこの時点ではまだステラがλになっていません。街のシステムは壊れていないのですね。
なら、紛い物の緑髪の少女は、恋人を喪って一人、残されます。
奇しくもそこは願いが盲目的に叶う街の中。緑髪の少女は、迷子少女になってしまいます。
この辺を考えるとやるせませんね。
こういう迷子少女の誕生を救うためにも、『転生』の方でリアリストが「♪君の愛する人を救うためでもある」と持ちかけたのではないかと思います。

『家出少年と迷子少女』でラストの「♪ハッピーエンドだよね」が最後まで歌えず終わってしまったのも、
迷子少女、つまり「転生少女が産みだした虚構の緑髪少女」が帰ってこれる「間違いじゃないキミ(転生少年)のいる世界」は、転生少女が現実に帰ったことで、なくなってしまったせいだと考えられます。
迷子少女が「♪やっとここに帰ってこれた」 って言っていた「ここ」とは、転生少女の現実世界で、
迷子少女が求める転生少年もいなければ、そもそも迷子少女すらいなくて、
迷子少女は本来の、恋人がいる幸せな緑髪の少女として戻る。
だから、ハッピーエンド、って言い切る前に消えてしまう。
という感じじゃないかなーと思いました。





聴いていて、気になって色々考えたところは以上になります。

やっぱりどれも好きな曲で、好きなシリーズで、
こうして一つのCDにまとまってくれて、どっぷりこの世界に浸れるようになってとっても嬉しいです。
何度も動画で聴いたことある曲のはずなのに、歌詞カードを見ながら改めて聴いたら、
ついついボロボロ泣いてしまいましたw
いやあ良い買い物した!

では長々とした文に最後までお付き合い、ありがとうございました!

「カスタムチャイルド-罪と罰-」感想

「ちくしょう、俺をこんな風に産んだのはてめえだろうが!」
などとショッキングな前置き。


壁井ユカコさんの作品、「カスタムチャイルド-罪と罰-」を読んだのでこれまた感想をつらつらと。
これと同じ世界観で書かれた「カスタムチャイルド」(壁井さん曰く「無印」)も読了済みだったので、ゲスト的に出演する無印キャラクターににやにやしつつ読み進めました。とは言っても続刊というわけではないので単体でも十分読めるはずです。

簡単にあらすじを紹介すると、遺伝子操作で産まれてくる前の赤ちゃんの形質が設定できるようになった仮想現代のお話。金髪碧眼の日本人は当たり前。そういう世界で、遺伝子操作の結果が思い通りでなかったと実親に放棄されて育った男の子と、遺伝子操作せずに産まれて育った男の子と、遺伝子操作通りに産まれ親の奴隷と化している女の子が、すったもんだ絡み合いながら歪んだ青春を過ごすストーリー。

キャラクターの内面がすごくよく伝わってきます。しかもエグイ。ストーリー展開も容赦がないです。

で、ちょっと感想書いていたら以下ネタバレちっくになってしまったので、ぼかしてはありますが嫌な方はバックプリーズ。お付き合い頂けるなら追記よりどうぞ。


続きを読む

改めて「死神様に最期のお願いを」感想

死神様死神様、僕を生き返らせてください!
ちょっくら滑稽な前置き。

ええと、1つ前の記事で「死神様に最期のお願いを」という漫画について感想をつらつら書いたのですが、今日最終巻を手に入れて読んでみたところ印象が変わったので、改めて感想を書きます。

ネタバレ配慮はしているつもり。けれどもちょっとのネタバレもお嫌な方は退避プリーズ。前書いた記事のコピペもあります。



正直、1巻は中途半端な印象でした。どうも妹キャラに魅力を感じない。お前どんだけ身勝手やねん、っていう。恨んでいるはずの序盤が少々デレすぎな印象。ただ、急転直下の展開、特に7人殺しの犯人さんのあたりは良い感じにぞぞっときたので、続巻を見かけたときも買ってみようかと思いました。

で、2巻から主人公が覚醒する。
この覚醒シーン1巻でやっとけばさらにガッと人が取れただろうになあ。ああいうほにゃほにゃした感じのお兄さんが知的だというのは、サブキャラにはありそうだけども、主人公キャラには珍しい気がします。
てっきり読む前は単なる現代ファンタジーものかと思っていたんですが、ここで認識を改めました。
こう、推理ものといえばいいのか。一事件ごとのカタルシスがすごく来るので、早く続きが読みたいと思わされた作品です。 

だからこそ残念なのが、この作品、打ち切りということ。 
最大の謎とも言える部分が、ヒントのみで読者にゆだねられる形になっています。これは真相解明サイトとかできそうだなあ。
あの締めの台詞もここで使ってくれるか、という粋な良さを感じましたし、なんとか頑張って最大限良い形で終わらせてくれたなあ、と思いました。とはいえ、やっぱり急展開なのは否めず……。
続き読みたかったです。本当に残念。 

もう一つ残念に思うのが、キャラクターが属性だけで成り立ってしまっているところ。妹ツンデレキャラ、クーデレキャラ、姉御キャラ、どれもよくある性格でなんだかリアルさが無いというか、テンプレに当てはめた感じがしてしまいました。意外性があったのは主人公くらいかな。

ただ、ウメちゃんは良かった。彼女の話は泣いた。ぼっろぼろ泣いた。 いっぱいお話ししてくれたところすごいこっちに話しかけられているようで良かった。



まあ、書きなおしてもまとまりがありませんがこんな感じの感想でした。
打ち切りエンドということを承知できるのなら、あと殺人やらが平気で推理ものロジックものがお好きなら、買って損は無いかと思います。

「箱庭図書館」感想

俺俺詐欺には名を名乗れ!

無意味な前置き楽しくなってきた。


さて、今回は乙一さんの新作「箱庭図書館」の感想です。
ネタバレ(というかあらすじバレ?)ありです一応注意。



では。
乙一さんの新作が出た、と大々的に書店で売られておりまして、ほいほい釣られて買ってしまいました。ので、読み終えたら感想でも書こうと意気揚々としていたわけなんですが……。

ガッカリした。

全部で6つの短編が織りなす、ほんのりと群像劇も交えたような単行本だったのですが、とりあえず初めに思ったのは「乙一さんらしくないなあ」ということ。

それもそのはず、「素人のボツ作品を募集し、それを乙一が乙一流にアレンジするという企画」からできたのがこの「箱庭図書館」なのだそうで。なんじゃそりゃ! しかもそれをあとがきで書くもんだからぐったり感倍増です。

乙一さん独特の世界観(明るく切ないものなら「しあわせは子猫のかたち」、暗いものなら「夏と花火と私の死体」の雰囲気が好き)というものがあまり感じられなかったのは、元ネタ(?)が御本人じゃなかったからなんですね。道理でモヤモヤしたんだ。



別に「箱庭図書館」を作る際に集められたネット上の作品・発想を貶すつもりではないのです。



「青春絶縁体」はまずもう「絶縁体」という単語を選ぶセンスが素敵だと思いますし、ぐっと惹かれました。「王国の旗」は童話を読んだみたいな感じで、それでいて境界人という難しさ・揺らぎも兼ね備えてある、面白いお話だったと思います。


でも、それぞれが素敵だったからこそ、乙一さん一人を押し出すような売り方をして欲しくなかったと個人的に思いました。帯に企画名はちょろっと書いてあったけど、その企画を知らないこっちとしては書店で検索できるわけもないし、どでかく「乙一」って見たら買っちゃうって……思うのは、私が作家買い・衝動買いをしてしまうせいだと起こられてしまうかもしれませんが。こう、乙一(原案プロジェクト〜)とか、何かしらできたんじゃないのかな。


文体が乙一さんなら良いじゃない、と思われるかもしれませんが、企画のことを知らなかった時点ですでに文章がらしくないなあと感じてしまった辺りなんだかなあ。文体が量産型のラノベ作家のよう、いえ乙一さんがラノベ出身であることも知っておりますしラノベの文体にはラノベならではの良い点や楽しまされる点があるのも重々承知しておりますが、要はきらりと光るタイプではない軽い文章になってしまったなあと思ってしまいました。前半で特に感じたので、ひょっとするとテーマに合わせて文体の調節をされたのかもしれませんが、それだけではどうにもならない違和感を覚えました。


そもそも人のアイデアを焼き直すのと、自分の中から生み出していくのでは、あらすじと表現の間に感じられる齟齬がよりいっそう大きくなると思うんだよね。よくもまあそんな難しい企画やってのけたもんだ。


とまあ、一読者であることを良いことに酷いことばっかり言ってしまっていますが、中でも「ホワイト・ステップ」は良かったです。文章もしっくりくるし、おおまかな部分は酷似しているけど、ちょっとした小ネタにくすっときた。有意義な正月のくだりも好きだ。一番違和感が無かった。


各作品の登場人物をリンクさせる、というのも私事で悪いけれど最近よく出会った手法なので、またこういうのかーと思ってしまった。それを言ってしまえば使い古された手法をいかに自分のものにするかが創作の一部分でもあるわけだから、この点は本当に私自身の愚痴なんだけどね。


なんかなあ。
もう少し別の出会いをしていたら純粋に楽しめたであろう作品もあったので、複雑です。

乙一さん好き! という方にはあまりオススメしません。
話題の本らしい、面白そうな話を読んでみたい、などなどジャケ買いのノリで買うのでしたら(加えてラノベに近い軽い表現も平気なら)、良いのではないかと。


せっかくの別名義なら黙々とやって頂きたいと思わないでもない終わります!
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