【山の頂は】

  かつて横綱千代の富士が引退する時、「体力の限界!」と言い放ったことがある。
  プロ野球の選手などが引退する時も、よく「やり尽くしたので悔いはありません」などと言うのを聞く。
  このように、肉体を用いて頂上を目指している人たちの場合ならば、肉体的な限界はあるだろうし、その肉体の最高潮の段階での技術的な到達点はあるだろうと思う。
  しかし、小説家の場合、宇野千代さんは九十才を超えて小節を書いたように、寂聴さんは九十六才を超えて、尚、書き続けているように、病で床に伏すまで、或いは、床に伏していても、その能力は発揮できるようである。

  芸術や文化的な活動の中においても、肉体を用いる舞踊などは、ある程度の限界はあるだろうが、頭脳や感性を用いる分野では、極端な言い方をすれば、限界はないのだろう。
  では、気功はどうなのだろうか。

  僕は、三十年余の気功探究の中で、幾つもの山を乗り越えてきたと思っている。
 丘のような山から里山に続く低い山、一時間ほど歩かないと頂上に着かない山と、幾つもの山を越え、向こうにある山に登れば一番高い山だと信じて登頂してみると、更に向こうに高い山が見えるといったように、気功の世界を歩いてきたのだ。
  その
辺りのことから話を進め、「気功とは何か、何をすることなのか」について考えていくことにしよう。