【脳波をα波にする訓練】
この訓練は器具を用いた訓練だった。
通販で買った物だ。
弁当箱くらいの箱からコードが伸びていて、その先に、血圧を測るような感じの小さいもので指を巻くようになっているだけの単純な装置だった。
マジックテープで指に巻き付け、スイッチを入れると、箱に付いている赤いランプが点滅する。
しばらくしているとランプの色が緑に変わる。
緑色になると脳波がα波になったことを示すのだそうだ。
その時に、「おっ、変わった!」などと余分なことを思うと、ランプが赤になってしまう。
それを繰り返していくうちに、脳がどんな風な状態がα波の状態かを覚えていき、赤から緑に変わる時間が短縮されていく。
このような訓練を通して、僕は脳波をα波にしていくテクニックを身につけていったのであった。
しかし、おわかりのように、これは脳波の状態を直接計っている訳ではない。
脳波がα波に変わることで自律神経が副交感神経優位に傾き、そのことによって指先の毛細血管が拡張し、血流量が変わったことを示していたのだった。
だが、当時は、その生理的な反応(生理学的な理論)には頭が及ばず、僕は脳波をα波にする訓練のみに夢中になっていた。
【最初の山】
僕が気功の世界に入って、最初にぶつかった課題、即ち、乗り越えなければならなかった山は、手のひら感覚と気のボールづくりであった。
僕は、気功が気の訓練だということも知らずに気功の世界に入り、また、当時は、何らかの功法を覚え、それを続けて練習していくことが練功だと思っていたので、最初に林茂美先生から習った大雁功や林厚省師から習った太極気功18式などの功法を練習していた。
しかし、それはラジオ体操や炭坑節の踊りを覚え、それを毎日しているのと同じことで、決して気功の練功とは呼べるものではなかったのだ。
気の感覚のことを「気感」と言うが、気感の入り口である掌の感覚やその発展である気のボールを作ることも、具体的な練習方法は教えられることは無かった。
掌を向かい合わせて、近づけたり遠ざけたりしながら掌に意識を向け、「感じよう、感じよう」としていたのだ。
しかし、これは掌感覚や気のボールづくりとしては、何の理論もテクニックもない、意味のない作業だったのである。
そんな時、当時発行されていた「気マガジン」という月刊誌の中に、気のボールを作る技の記事を見つけ、それをを見ながら気のボールづくりに取り組んだのだった。
と同時に取り組んだことが二つある。
一つは、器具を用いての脳波をα波にする訓練であり、もう一つは自律訓練法と言われる訓練法だった。