本編の半年くらい前〜バトルオブフェアリーテイル終わりまでのいろいろ。
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本編の半年くらい前〜バトルオブフェアリーテイル終わりまでのいろいろ。
久しぶりに門をくぐったギルドは、以前と変わらず賑やかであった。
力比べをしている者、次のクエストの相談をしている者、酒を楽しむ者など様々だ。
今日の喧騒の中心はナツとグレイの喧嘩らしい。
フリードがギルドに所属する前から二人は反目しあっていて、些細な理由から、時には理由すらなく喧嘩を始め、周囲がそれを煽り、エルザが諌めるまでがいつもの流れであった。
今日もエルザに叱られるのだろうと思った頃には、案の定エルザの拳が二人に振り下ろされた。
自分達は仲間だ。仲間とは仲良くしろ。
エルザは何度となく二人にそう説いた。
マスターに代わり、奔放すぎるギルドのメンバーを律する彼女の言葉は厳しく、真面目さが過ぎるのは否めないが、言い分は最もだ。
だが、そんな彼女でも御することが出来ない者もいる。
ラクサスがその一人だ。
その強さはエルザをも凌ぎ、ギルダーツが不在の今、フェアリーテイルでは一位二位を争う実力者である。
フリードは彼の力に惹かれていた。その感情は尊敬というよりは、畏怖の混じった崇拝と言った方が近いかもしれない。
フリードは視線をエルザ達から二階へと移した。
フェアリーテイルにおいて、ギルドの二階に上がることは特別な意味があった。
そしてその資格を持つものは多くない。
ラクサス、エルザ、ミストガン、ギルダーツ、今は引退してしまったミラジェーン、そしてギルドマスターでありラクサスの祖父でもあるマスター・マカロフ。
100名近くが籍を置くフェアリーテイルの中でもほんの数人、選ばれた強者のみに、二階へ上がることが許されている。
そこから見下ろすギルドの眺めをフリードは知らない。
「ラクサス!降りてこいよ!」
威勢よくナツが声をあげる。またいつもの腕試しをしたいのだろう。先ほどエルザに叱られたことは全く気にしていないようだった。
ラクサスが鼻で笑いながら、ひらりと二階の手すりを乗り越える。
今日のラクサスは機嫌がいいらしい。
着地するのを合図にナツが飛びかかる。割れるような轟音と囃し立てる野次が沸く。
二、三度の撃ち合いで決着はついた。
ラクサスの攻撃をかわしたナツが炎を纏った拳を振り上げると、同時に床に崩れた。
かわした攻撃の返しの一振りを受けたのだ。
「やっぱラクサスはつえーなー」
ナツは床にひっくり返ったまま叫んだ。負けたのに楽しそうだ。
以前は、一撃で気を失っていたことを考えると、ナツも少しは強くなっているのだろう。
盛り上がるギルドの面々の間をすり抜け、ラクサスはまた、二階へ上がっていった。
ラクサスは、S級魔導士に昇格して以来、ギルドにいるときはずっとそうやって二階にいる。
他のS級魔導士であるエルザやギルダーツのように、一階で他の魔導士の輪には入らない。
文字通り、孤高の存在である。
その理由のひとつが、ラクサスのギルドに対する不満だ。
ラクサスの父イワンが抜け、ギルダーツも長期の不在、ミラジェーンの引退。
若い魔導士は皆、ナツのように育ってはいるのだが、これらの穴を補うには程遠いのだろう。
フェアリーテイルは弱くなったと、ラクサスが吐き捨てるのを何度となく見てきた。その姿が纏う空気は、不用意に触れれば切り裂かれてしまいそうなほどに張り詰めていた。
ラクサスの求める強さに、応えられる者が一体何人いるというのか。
そして、自分は応えることができているのか、フリードは不安だった。
先日のS級魔導士試験で改めて思い知らされたのだ。S級の壁は高く厚く、並大抵の者では乗り越えられないものなのだと。
エルザはフリードがS級でも通用すると言っていたが、S級魔導士との実力差を目の当たりにしたばかりでは気休めにしか感じられなかった。
生真面目で自他共に厳しいエルザがこのような言葉を気休めでかけないのは理解しているが、気持ちはその通りに整理がつかないのだ。
フリードは唇を噛み締める。
静かに席を立ち、自室に戻ろうとギルドを後にした。
自室に戻れば、少しは落ち着くだろうと思ったが、気分は沈む一方だった。
フリードはベッドに座り込み、床を見つめるように項垂れた。
自分がもっと強ければ、ラクサスはあんな不満を抱えなくて済むのではないか。
葛藤がフリードの胸を苛む。
フリードは二階から見下ろすギルドの眺めを知らない。すなわち、フリードとラクサスでは見えている世界が違うのだ。
同じ視界を共有出来ない身で彼の何が理解できるというのだ。
理解がないからこそ、フリードが彼に向ける感情は共感ではなく、あくまで崇拝なのだろう。
フリードはラクサスの圧倒的な力に心酔することしかできないのだ。
その立場には不満はないが、S級魔導士になれれば、二階へ上がることができるようになれば、彼の視界を知ることができ、もっと彼の役に立てるのだろうと思うと、自分の実力不足にやりきれなくなる。
考えても仕方ない。強くならなくては――。
フリードは考えを打ち切り、立ち上がった。
ギルドに戻ってクエストを受注しよう。
クエストを受注して、依頼を達成して、もっと強さを身に付ければいい。
報酬で新しい魔導書を買って、術式の精度を高めればいい。
何も迷うことはなかった。
強ければラクサスは必要としてくれる。強ければラクサスをもっと知ることができる。ラクサスの求める強さに近づくことが出来る。
強くないのなら、強くなればいい。単純なことだ。
そう結論づけたところで自室のドアを開ける。
「……ラクサス?」
「フリード!」
そこにはラクサスがいた。
腕を組み、部屋の向かいの壁にもたれかかり、何かを考えてるいるようだった。
「どうして、何をやってるんだ」
ラクサスのことを考えていた矢先に、待ち伏せているかのように本人が現れたことに驚きが隠せない。
部屋の中に入るよう促す手がぎこちない。
これが、ビックスローやエバーグリーンならここまで驚かなかったかもしれない。
それだけ、フリードにとってラクサスは特別な存在だった。
「……いや、その」
部屋に招き入れられたラクサスは、口ごもりながら言葉を探す。
「さっき、ギルドにいるの見えたから、珍しいと思ってな」
フリードはあまりギルドに顔を出さない。
ギルドに顔を出す頻度は個人差はあるものの、フリードは飛び抜けて少ないと言ってよかった。
難易度の高い長期クエストに行くことが多いこと、喧騒を得意としないこと、ギルドの面々に不満を剥き出しにしたラクサスを見るに忍びないこと、など理由は挙げきれない。
「悪かったな、声もかけずに……あんたも来たなら、声をかけてくれればいいのに。どうしたんだ、部屋の前で」
「……なんでもねぇよ。悪かったな、驚かせて」
「別に、驚いてはいないさ」
言葉では否定しているが、よほど驚いたのだろう。取り繕おうとしているのが、コミュニケーションが得意な方ではないラクサスでもわかる。
しかし、その姿に対して不満がある訳ではない。むしろ珍しいものを見られたな、という気持ちの方が大きい。
フリードは、ラクサスの前では、気丈に、冷静に強くあろうと振る舞おうと自らを律している。
その律がわずかにだが、解けてしまっているのだ。
ラクサスは胸の底がざわつくのを感じた。
今目の前にいるのは雷神衆のリーダーではない、ただのフリード・ジャスティーンなのだ。
仲間として、親衛隊としてだけではなく、もっと違った形で触れ合いたい。
靄のように霧散していた感情が一気に収束し、形をなしていくのがわかる。
何か言葉をかけたいと思った頃には、フリードを抱き締めていた。
「……!」
ラクサスが他人の気持ちを理解するのが不得意なように、ラクサスへの理解が欠けている自覚のあるフリードですら、さすがに理解できた。ラクサスがどうしてこんなことをしたのかを。
ラクサスは仲間としてではなく、それ以上に自分を思っているのだと。
ラクサスが自分を好いているのならば、ラクサスを知ろうと、強くなろうと、これ以上努力しなくても、フリードがその気持ちに応えさえすれば、側に置いてくれるのかもしれない。
いや、好いているからこそ、強さなど関係なく、今までも側に置いてくれていたのかもしれない。
もうずっとラクサスはフリードに強さなど求めておらず、強くなろうと重ねてきた努力は無駄だったのかもしれない。
フリードの張り詰めた矜持が引き裂かれる。
ラクサスを知りたい。強くなりたい。彼の為に強くあろうとするのはフリードの存在意義そのものだった。
それは今、大きく揺らいで、すぐにでも崩れそうだった。
「ラクサス……」
フリードを締め付ける質量は間違いなく本望だった。
圧倒的な力に、心酔することしかできなかった。だが、そこに宿る人格を、仲間としてのそれ以上に敬愛してしまったのだ。
その背に腕を回して抱き締め返せばよかった。そうすれば恋人になれるのかもしれない。
押し返して、何の冗談だと、笑えばよかった。そうすれば仲間に戻れるかもしれない。
フリードはどちらも出来なかった。
両腕は空中で歪な弧を描くだけで、触れることも突き放すこともなかった。
どうしていいのかわからない。
全てはラクサスの為で、その為なら自尊心などいくらでも捨てられる。そう思っていたのに。
ラクサスに深く関わるとはいえ、彼の為にならない自尊心を捨てきれないことに気付かされた。
捨てたくても捨てられない歯痒さに思考が支配され、固く目を閉じた。
直後、フリードの体は解放される。圧迫されていた肺に空気が流れ込んだ。
「……なんてツラしてんだ」
降ってきた言葉に思わず目を開く。苦しげな表情がフリードを見下ろしていた。
「ち、違う!俺は、」
こんな表情をさせたかったのではない。
互いへの気持ちが噛み合わない二人だが、それだけは同じ思いだった。
ラクサスはフリードの言葉の続きを聞こうとしなかった。
フリードはラクサスを崇拝するあまり、恋情との区別がつかなくなっただけではないのか。
ラクサスを傷つけまいとでまかせを言ったのではないか。
だとしたら、ラクサスに従おうとするためだけに自分の心を殺してしまうのは、あまりに不幸だ。
だからと言って、言わせてから聞き返せば、フリードの寄せる感情を疑っているようなものだ。
「もういい」
ラクサスにはフリードの言葉を遮ることしかできなかった。
「忘れろ、いいな」
そう言って、ラクサスは扉に手をかけた。
これは命令だ。
フリードがラクサスの命令を聞かない訳がない。
「あんたが……そう言うなら」
いっそ自分のものになれと、命令してくれたならくだらない自尊心を潰すことも出来たかもしれない。
本当にくだらない。
ラクサスは本当にフリードの実力を認めていて、傍に置いているうちにこのような感情が芽生えただけかもしれない。
確かめることもできたが、どちらにせよラクサスを傷つけてしまうのは明白だ。
ラクサスのフリードへの信頼を疑っているようなものだ。
気持ちを伝えれば、理解してくれるかもしれない。
しかしフリードは怖かった。ラクサスが信じてくれないのではないかと。
ドアが閉まり、足音が遠ざかる。
うつむくと、涙が数滴、床に落ちた。
悔しいのか悲しいのかもわからないままに、袖で目元を擦った。
強くなろう。フリードは再びこの結論に達した。
ラクサスが自分をどのような形でフリードを欲していても、強ければ問答無用で必要としてくれるであろう。
体だけではなく、心もだ。
全てはそれからだ。
ラクサスがフリードに呼び出され、彼の部屋を訪れたのは、その日以来だった。
窓から見える街道は、フェアリーテイルの面々が暴れたために一時は戦々恐々としていたが、今は収穫祭の賑わいを取り戻しつつある。
互いの体のあちこちについた傷や、巻かれた包帯を見合い、二人は苦笑した。
今後のことを一言二言話すと、フリードは本題を切り出した。
「ラクサス、あの時あんたが言ったこと、覚えてるか」
少しだけ声が震えた。
具体的なことまで言うのが怖く、あの時なんて曖昧な言葉を選んでしまう。
まだ自分は強くないなとフリードは心の中で自嘲した。
「忘れろって、言ったはずだ」
言葉は厳しいものの、張り詰めていたものが放たれたように清々しそうな口振りだった。
「その命令は聞けなかった」
フリードがラクサスの命令を違うのは二度目だ。
だがこれは正確には、聞けなかったのではなく聞かなかったのだ。
事態を飲み込めなく、首をかしげるラクサスをフリードが抱き締める。
ラクサスの傷が痛まないように、優しいものだった。
「もう少し、待ってくれないか」
フリードは、まだ血の臭いがわずかに残る肩口に顔を埋めた。
「俺はまだ弱い。お前に相応しくない」
以前は、それを口にするのすら怖かった。それくらいフリードは弱かったのだ。
「待つっていつまでだ、俺はもう出てくぞ」
ラクサスはそっとフリードを引き離した。
その手つきが優しくのは、互いに怪我を負っているからだけではない。
「また会えるだろう?」
フリードはそう信じて疑わなかった。
だからこそ、いつかまた会えるそのときこそ、強くなっていたいと思えた。
「さぁな」
そう笑って、ラクサスは扉に手をかけた。
フリードも僅かに笑った。口の中が切れた箇所が痛む。
パレードが始まる時間が近づいてると鐘が告げた。
END