星の使徒研究所爆破後のガゼルとバーン。恋愛未満。
「めんどくせえ」
窓の外で揺れる木の葉を見つめ、バーンは吐き捨てた。
「仕方ないだろう、私達はそれだけのことをしたんだ。むしろこの程度ですんだことをありがたく思うべきだ」
ガゼルはちくりと、皮肉めいた口調で返す。
吉良星二郎の逮捕後、彼が擁していた子供達は保護された。
彼らの今後を考慮してのことだろう、エイリア石の影響や副作用を検査するために、保護された子供達は一様に、数日の検査入院を課せられた。
彼らの間ではマスターランクと呼ばれていたチーム同士が地位を争っていた。
その中でも特に犬猿の仲と評されていた二人が、どういう巡り合わせか、こうして二人部屋の病室に押し込められていた。
窓側のベッドにはバーンが、廊下側のベッドにはガゼルが、両足をぶら下げるように背を向け合い、腰かけていた。
初日の検査は夕食後にまで及んだ。あとは消灯時間を待つばかりだ。
バーンは両足を放り出すようにベッドに寝転んだ。
白いシーツ、白い天井、白い壁、白い床、白いドア。どこを見ても白い部屋にバーンは心底うんざりしていた。
こんな日があと何日続くのだろう。
舌打ちをするバーンを肩越しに振り返り、白いシーツに彼の燃えるような赤毛がよく映えているなと、ガゼルはぼんやりと考えた。
「マスターランクはエイリア石なんざ使ってねえから影響もクソもねえのによ」
ばたばたと、布団の上に足を何度か降り下ろす。
ガゼルは眉をひそめて、再び壁に向き直った。
「父さんを見てわからないか。あの優しかった父さんが変わってしまったのを君も見ただろう?使用してないからと言って私達に影響がないと言いきれるか?」
バーンは言葉を失った。そのまま、のろのろと体を起こす。
「あんたはいつもそうだ……冷静ぶって、何もかも知ったような口をきく」
徐々に強まる語気を抑えることが出来ない。ガゼルの背を、射殺さんばかりに睨み付ける。
「そこまで言うなら、あんたは最初から父さんの言うことなんて聞かなきゃよかっただろ!?」
最後はほとんど怒鳴り付けるように言い放った。
「仕方なかったんだよ」
「仕方ないって何だ」
バーンはベッドの柵を乗り越え、ガゼルのベッドに飛び乗った。
「一人だけ物分かりがいいみたいな、澄ましたツラしやがって!」
乱暴にガゼルの肩を掴むと、弾かれたようにその肩が跳ねる。
「……っ!」
振り返った彼の表情は、バーンの言う、澄ましたツラからは程遠いものだった。
眉根を寄せ、下まぶたに溢れそうなほどの涙を溜めて、唇を白くなるまでにきつく噛んでいる。
片手はシーツを握りしめていた。
「耳元で、大声出すな」
空いたもう片方の手で耳をおさえ、呟く。
噛まれた唇が解放されて、じんわりと血色を取り戻す。
「……わりい」
それ以上の言葉が見つからなかった。
「やっと……やっと、私を愛してくれる人を見つけたんだ」
まばたきをすると、まぶたに溜まった涙が、一粒、二粒とガゼルの頬を滑り落ちた。
「捨てられたり、失ったりはもうたくさんだ」
バーンはガゼルの隣に静かに腰を下ろした。
そういえば、こいつが泣いているのを見るのは何年ぶりだろうと、その横顔を見つめた。
濡れた睫毛が揺れて、蛍光灯の反射光がちらつく。
「何を見ている」
ガゼルは顔を背けるように俯いた。
「見たくて見てる訳じゃねえっつーの」
バーンはガゼルの頭を軽く小突いた。
ガゼルは俯いたままだ。
「……だから早く泣きやめよ」
その手で、そっと頭を撫でる。
犬猿の仲なんて言われてはいたが、競ってきた相手のこんな姿を見るのは忍びない。
何より、黙っていたら自分まで泣きたくなってしまいそうだった。
「同情はやめろ」
ガゼルは、言葉では拒絶しているのに、その手を払いのけようとはしなかった。
目元をごしごしと擦っているが、次々に涙が流れてくるので、あまり意味のない行為だった。
そして、その言葉も意味がないものだとバーンは知っていた。
「バカ、同情なんかするかよ」
バーンは頭を撫でる手を止め、下ろす。
「同情は相手の気持ちになりきってするもんだ……なりきらなくても、最初から共有してるのは同情って言わねえだろ」
「そうか」
本当の家族を失い、父と呼んだ人物の為に、たくさん傷つき、たくさん傷つけてきたのは、バーンもガゼルも同じだった。
向き合おうとしなかっただけで、互いの気持ちを知らないはずがなかった。
ガゼルはそれきり黙って、静かに泣き続けた。
シーツを握りしめている拳に手を重ねると、バーンは泣き出しそうな気持ちを少しだけ落ち着けることが出来た。
一度は、泣きやめと言ったが、今は逆に、気が済むまで泣いてしまえばいいと思った。
しばらくしてガゼルが再び目を擦る。ようやく泣き止んだらしく、濡れた頬を拭いながら二三度、鼻をすする。
バーンも泣き出したい気持ちをどうにか抑えつけられ、少し心地が安らいでいた。
ガゼルはもたれるように、バーンの肩に頭を預けた。
「バーン、一緒に寝ようか」
驚くべき台詞だ、少なくとも昨日までは。
ガゼルは、今まで見せようとしなかった弱味を、晒け出してしまったのだ。
「……」
バーンは、返答を躊躇った。
ずっと負かしてやりたいと思っていたはずの相手と、対等でいたいと今でもどこかで望んでいるのだ。
偶然にも、ガゼルは弱味を晒け出したが、バーンは泣き出したい気持ちを抑えつけた。
対等であると言えるだろうか。
会話の流れひとつで立場は逆のものだったかもしれない。
ここで、ガゼルの言葉を受け入れれば、その均衡が崩れたまま戻らないのではないかとさえ思えた。
吉良星二郎に必要とされるために身を粉にしてきたバーンにとって、ガゼルと対等で居続けるために張り詰めていた糸。
その緊張感は、知らぬ間に当たり前のものとなり、バーンという人物を構成する要素のひとつになっていたのだ。
バーンが躊躇していると、病室の灯りが消えた。消灯時間だ。
諦めたのだろう、それを機にガゼルも一人で布団に潜り込んでしまった。
「あ」
「どうかしたのか」
「いや、」
ガゼルは、バーンを一瞥すると、返事を待たずに、まぶたを閉じた。
「こんな冗談を真に受けるなんて意外と可愛いところ、あるじゃないか」
「……冗談かよ」
ガゼルの丸まった背中を見ても、さっきの言葉が、本気なのか冗談なのか分からなかった。
「どう思う?」
「どっちでもいい」
バーンは投げやりに呟くと、そのまま寝転んで、布団に潜り込んだ。
ガゼルが身じろぎするのが衣擦れの音で分かる。
「めんどくせえから寝る」
「ここでか」
「一緒に寝ようっつったのはあんただろ」
バーンは考えるのをやめた。
これは風邪みたいなものだ。たまたま、ガゼルは弱っていただけだ。
今の自分達にどちらが上も下もない。少なくともバーンはそう思っている。
「昔を思い出すな」
ガゼルの声が思ったよりも近くにある。月明かりを頼りに、横目で見てみると、背を向けて寝ていたはずのガゼルが、バーンと同様に、天井を見つめていた。
「そうだな」
お日様園では、ひとつの部屋に何人もの子供が布団を敷き詰めて寝ていた。
布団に入ってから眠りにつくまで、その日あったことや、次の日の遊びの計画などを話すのが常だった。
二人が布団を並べることも何度もあった。
今思い出すと、不自由なこともたくさんあったが、宝石のように綺麗で輝いた日々だった。
二度と手に入らないから、一層綺麗なものに思えるのかもしれない。そう考えると、胸に穴が開いてそこから何もかもが漏れていく気がした。
ガゼルが風邪なら、俺はインフルエンザだ。バーンは穴の開いた胸の内で、そんなことを考えた。
寂しい。寂しい。あの頃に戻りたい。
ずっと蓋をしてきた想いを覗き込むと、どこまでも飲み込まれていきそうだった。
目を閉じ、胸の上で手を組む。
あの頃の自分達を、あの頃の父さんを返してほしいと、信じてもいない神様に祈った。
「今日は、疲れたな」
「……だな」
暗い部屋に、ガゼルの声が通る。
あれだけ泣いたかと思えば、人の気も知らないで、呑気な感想だと、バーンは生返事をした。
「明日も検査たくさんあるけど、頑張ろう」
その言葉に息を飲んだ。
その日あったことや、次の日の遊びの計画。今思い出すと、綺麗で輝いた日々だった。
あれは二度と手に入らないから綺麗だった訳じゃない。綺麗だから二度と手に入らない訳でもない。
バーンは返事もできずに、組んだ手を、ぎゅうっと握りしめた。
「ね、晴矢」
ガゼルは、返事をしないバーンに、重ねるように呼び掛けた。
もうずっと、誰にも呼ばれていなかった名前だ。
馬鹿みたいだと思った。人の気も知らないのはどっちだ。
もう一度手に入れられないと決まった訳じゃないのに。
バーンは組んだ手を解き、両手で顔を覆った。
こんなにも悲観ばかりするなんて、余程重症だ。インフルエンザに違いない。苦しい。
顔を覆う手の間から、久しく呼んでいない友の名を漏らす。
かつてその名で呼ばれていた人物は、あの頃のように近くにいた。
それだけで、苦しさが和らいだ気がした。
END
2010-8-15 22:33