ダイアモンドダストとプロミネンスの頃の仲良く喧嘩する二人。
俺はこいつが嫌いだ。こいつも俺が嫌いだ。
嫌いな理由も、嫌いなところもありすぎて言葉に尽くせない。
ジェネシスの座はグランのやつにも渡す気はないが、こいつにだけは絶対に渡したくない。
昔はそうでもなかったけど、過去なんて関係ない。
俺はこいつが嫌いだ。
大嫌いなこいつ――ガゼルは、俺を部屋に呼び出して、不敵な笑みを浮かべながら言い放った。
「簡単なことだよ。私がいいと言うまで君は抵抗してはいけない、それだけだ」
互いを高めあうという名目でマスターランクチーム同士が練習試合をするのはよくある。
試合前に、俺とガゼルが喧嘩をするなんてのもよくある。
売り言葉に買い言葉の末、試合でどちらがたくさんシュートを決めるか、負けた方が勝った方の命令を聞く、なんて賭けをしたのは、よくなかったかもしれない。
結果は見ての通り、俺はこいつの命令を聞くこととなる。
まさかこんな日に限ってに負けるとは思わなかった。拮抗した力がぶつかれば結果は五分五分なのだから仕方ないのだが。
喧嘩の現場がグラウンドから少し離れた水飲み場で、あの賭けのことを誰も聞いていなかったであろうことがせめてもの救いだ。
抵抗をしない。
それだけのシンプルな言葉に底知れぬ不安が沸き立つ。
何をされるのか想像がつかなかった。
俺を見据える冷たいガゼルの目は、爬虫類のそれみたいだと思った。
居心地が悪くて睨み返すと、ガゼルは片手を振り挙げる。
殴られるのか。思わず目を閉じる。
次の瞬間、頬に走った痛みは予想よりもはるかに小さかった。
「……?」
ガゼルは、頬に軽く触れただけだった。
「ここ、怪我してるじゃないか」
そういえば試合中に、ボールを奪いに来たディフェンダーを避け損なったときに転んだから、その時のものだろう。
「座りなよ」
ガゼルは視線で椅子を指し示した。その言葉は、命令と呼ぶにはどこか投げやりであったが、賭けに負けたからには逆らえない。
空色の薄いクッションが乗った椅子に腰掛けると、ガゼルが小さな箱を片手に屈むのが目に入った。
その箱が何なのかを尋ねる前に、蓋が開けられる。
中には、消毒液や絆創膏が並んでいる。まさかとは思ったが、これはどう見ても救急箱だ。
消毒液を染み込ませたガーゼで、頬を何度か抑えると、絆創膏を貼った。
更には、試合中に接触して出来た腫れを目ざとく見つけ、スプレーで冷やし始めた。
こんな手当てに慣れているだろうことは、こいつの手足の絆創膏からも見受けられる。
しかし慣れているからといって、俺にこんなことを施す理由は理解の外だ。
「あんた、なんだってこんなこと」
ガゼルは、笑みを歪めた。
「屈辱だろう?私にこんな風にされるのは」
「嫌がらせかよ」
「さあね」
楽しくて笑っているのか、嘲って笑っているのか、よくわからない顔だ。
「意味わかんねえ」
相変わらず、こいつの考えは理解の外だ。
確かに競争相手にこんなことをされても、いい気分ではない。
しかし、悪い気もしなかった。
おかしな話だ。俺はこいつが大嫌いだというのに。
こいつのことを思い出すと、胃の底がむかついて眠れなくなったり飯が不味くなったりするくらいなのに。
うまく処理できない感情が気に入らない。小突いてやろうかと足元に屈むガゼルの頭に手を伸ばす。
「どうかしたか?」
触れるか、触れないかのところで、ガゼルが口を開く。俺は思わず、手を止めた。
「別に……」
俺は言葉を詰まらせた。
自分のよくわからない気持ちをうまく言葉にできなくて、別の感情にすり替える。
「逆らうなって言うから、ジェネシス計画から降りろとでも言われるかと思ったのに、拍子抜けしただけだ」
ガゼルはこちらを見ようともしない。瞬きをして少し睫毛が揺らしただけだ。
「君は本当に愚かだな」
「何だよ」
ガゼルは、ため息を漏らした。
「では聞くが、君が賭けに勝ったとして、君は私達に計画から降りるように言うのか?」
苛立ちを隠さない言葉は刺々しいものだ。
「言わねーよ。そんなことしなくてもダイアモンドダストには実力で勝つからな」
おそらく、俺の言葉も刺だらけだろう。
これは、いつものパターンだ。
刺の生えた言葉の応酬、どちらかが怒鳴りつけて、喧嘩に発展する様子が簡単に思い浮かぶ。
そういう気分じゃないのに面倒くさい。出来るだけ広い心でこいつの次の言葉を聞き流そう。
そう思った矢先に、ガゼルが顔をあげる。
「……私もそうなんだと、考えが及ばないから愚かだと言うんだ」
その言葉は棘どころか、むしろ弱々しくさえ聞こえた。苦い表情がそう感じさせるのかもしれない。
肩透かしをくらった気分だ。
「……悪かったな」
伸ばした手で、ガゼルの髪をわしわしとかき混ぜる。
撫でているのか、当たり散らしているのか自分でもわからない。
「不愉快な奴だ」
「こっちの台詞だ」
言葉こそ悪態だが、妙にくすぐったい心地になる。
険悪で面倒な空気になる前に退散するか、それとももう少しだけこの心地を味わうかを決めかねていると、ガゼルが俺の腕に手を伸ばした。
俺が手を引っ込めるより早くガゼルは腕を掴み、そのまま引き倒した。
俺はガゼルに思いきりぶつかって、ガゼルもろとも床にひっくり返った。
「なにすんだよ」
俺と同じように床に転がるガゼルを睨み付けると、ガゼルは片腕で俺の体を引き寄せた。
冷たい床の上で体が触れ合い、意外と高いガゼルの体温がシャツ越しに伝わってくる。
心臓の鼓動が追い立てるように音量を上げて、聴覚を惑わす。
けしてドキドキしてる訳じゃない。驚いただけだ。
こいつの行動が理解できないだけだ。こいつにこんなことされるのが屈辱的なだけだ。
なんて質の悪い嫌がらせなんだ。
頬に手まで添えられて、鳥肌が立ちそうだ。
「……」
ガゼルは口を開いたが声は出さず、何か短い単語を唇だけで形作った。
口を開いて、少しすぼめて、そのまま開く。この形はどこかで見たことがある気がする。
頬に添えられた手は、耳元をかすめ、髪の間に差し込まれる。
冷たい指先はまるで蛇のようだ。
その蛇は、温度こそ冷たいものの、気持ち悪いくらいに優しく、髪を撫でつけた。
相変わらず、こいつの考えは理解の外だ。
ガゼルは躊躇いがちに呟いた。
「……言い忘れてたけど、もう抵抗していいよ」
その言葉は解放も同義だった。
言い忘れるな。早く言え。
言いたい言葉をまとめて飲み込んで、聞こえないふりをした。
耳がその言葉だけを聞くのを拒否したのだ。
脳が理解するのを拒否したのだ。
腕が振り払うのを拒否したのだ。
俺もこいつの嫌がらせに便乗しようと言うのか。俺はこいつの言う通り愚か者だ。それにしても限度があるだろう。
ガゼルは、わずかに口角をつり上げた。
「本当に屈辱的な思いをしたのは私の方だな」
嘲笑ではなく、穏やかな笑みだった。
「私にこんなことさせるなんて、君は本当に不愉快な奴だ」
それはこっちの台詞だ、と言葉が出そうになったのを、ぐっと飲み込む。
本当に、こいつの考えは理解の外だ。
同じくらい、俺の考えも理解の外に飛んでいってしまったのだけれども。
END
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短い単語=なぐも