新宿文化センター大ホールで行われた 東京都合唱祭
私の指揮した合唱団は その透明感ある音色で お客様の心を惹き付けていた
歴史あるこの東京都合唱祭の非常に宜しくない事を一つ挙げると
指揮者とピアニストは通常のコンサートと同様に舞台袖から舞台に出てくるのだけど、合唱団員の方は 次の出演団体が客席の端に並び控え、出番が来たら そこから直接 舞台上に登って来る事だ
さいたま市の合唱祭でも,鎌倉市の合唱祭でも こんな馬鹿な事はやっていない
移動時間の節約と、出来るだけ他団体の演奏を聴き合うというのが そうなった理由だろう
しかしだ‥
コンサートホールで演奏する時、私達演奏家は 薄暗い舞台袖から 明るい照明に満ちた舞台に向かって颯爽と出て行く
そこには不安を振り切って 光の中へと飛び込んで行くという、一つの「覚悟」が生まれるものなのだ
舞台袖に在る その何とも言えない緊張感を、せっかく出演している各合唱団の団員達に味わわせない等、余りに愚かな事だ
舞台袖は集中度を高める大切な場所でもある
本番というのは、舞台の上だけが味わいの場所ではない
舞台の上に至るその前後も含めた「流れ」が大切なのである
例え時間設定が面倒になろうとも、早急に改善されるべきだろう
出演者がアマチュアならば、尚更にその味わいを体験させてあげるべき‥ クラシック音楽の演奏家を長い間生業にしてきた者として強く提言したい
‥
こういう問題は、この東京都合唱連盟に限らず、あらゆる団体に起こりうる
過去 上手く行った事柄があったとしても、常に新鮮な視点で現況を見直していなければ、やがて大切なものが腐り始める
過去は過去,今は今,未来は未来
合唱連盟の執行部内部で仲良く成り過ぎているなら それは既に危険水域である
イエスマンだけで構成するので無く、空気を敢えて読まないふりが出来,正しい苦言を言ってくれる勇気ある慧眼の持ち主を、面倒でも必ずメンバーに入れておくことだ
そういう団体は腐敗せず、帯びる光を失わない
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