音楽プロフィール

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 「絆」 ( ほだし )・其ノ結び 〜 自在 〜 
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「私」の外との ( ほだし ) に思いを馳せて来たこの流れを更に突き詰めて行くと‥
内なる私と「私」との絆に辿り着く


「私」故に私は生き
無常の中に在っても 塵の如きこの「私」は、私にとって掛け替えのないものだ

しかし その心との繋がり,身体との繋がり故に、私はその「私」からの束縛もまた受けるものである





全ての者がそうであるように
「私」の揺らぎと共に私も揺らいでしまうなら、揺らいでいる程には それを自覚できぬものなのだ


身体もまた、何かを究めんと道を歩む者なら 思いのままにはならない己の身体に 嫌と言うほど早くから出会うもの

しかし 凡なる者が出会うのは、身動きとれない程の病に侵された時だ‥ その時、人は己の身体と真摯に対話せざるを得ない


振り返らざるを得ない‥


病や悲しみが 一つの恵みとされる由縁はそこにある









私との絆ゆえに、私の想いに「私」の心は動き、「私」の身体は健気にも頑張るのである

そして同時に
「私」の心の揺らぎ故に 私は想いを阻まれ、「私」の身体の揺らぎ故に 私には限りがあり、時の制約もまた受ける




「私」と外との絆がそうであるように、「私」の 内なる私と「私」の絆においても、絆と束縛は表裏一体なのである




「私」の外との絆を断った聖人であっても‥
そうであればあるほどに浮かび上がるのは、己自身との断ち難い絆と縛りであろう






私が「私」の心と身体の絆 (ほだし) から解かれる時

私が無常の流れの中に在る「私」ではなくなるその時


私は『自在』となる






だが

世の無常が見えた上で、風流にも もし「私」のどんな揺らぎをも私が味わえるのなら

その日々は生きながら『自在』であるとも言える











自在であれと積み重ねる慎ましやかな日々のその先に









真に自在な光は必ず訪れる


















































コメント→【215/01/09 18:07


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