音楽プロフィール

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 絆 ( ほだし ) ・其ノ三 
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さて

「絆」 ( ほだし ) について二夜に渡って書いてきた

誤解されないように述べておくと、私は「絆」を忌まわしいものだと思っているわけでは決してない

貴いことだと知っているが故に、それを断ち切った西行たちの心の深層に思いを馳せるのである





……

地方から上京して来た人は理解できると思うけれど、故郷に家族がありながら 志を胸に上京することは、或る意味「絆」を断つ出家に似ている部分がある


私の実家は、私が家を出る高校生の頃は 昔ながらの上下感のある繋がりが強い家族だった

今は亡き祖母と両親と姉と私‥、そして両親の兄弟達が作った家族である親戚も近くに住んでいた

私が高校を卒業したら声楽家になる為に上京するのだと親戚達が知った時、それはそれは驚かれたものだ




父は昭和一桁の熊本の男で 口数が極めて少ない人だったが、私と良く似ているところもあり、一々説明されなくても お互いの心の動きは何となく解っていた

母は父とは正反対の朗らかで良く喋り 情に厚い女性だったが、私に様々な教訓じみたことを語っていたのは意外にも この母の方である‥
母はドジな人でもあったから、そのアンバランスさが何とも子供心に面白かった




繋がりの強い家族から遠く離れて暮らし、その中で志を貫くには、その絆で後ろ髪を引かれるような状態であるのは望ましいことではないから、私は高校を卒業し 実際に上京する際に、これは出家なのだと自分に言い聞かせていた‥

今考えると 色んなことが分かっているわけでもなかった当時の青い自分がそんな感覚でいたことを、ちょっと恥ずかしくもあり,可愛らしくもあり,感心したりもする

実際に郷里熊本をいよいよ発つ日、移動する乗り物の中で「これでもう自分は熊本で暮らすことはないのだ‥ 」と 色んなことに思いを巡らせながら しっかりと胸を東京に向けていた事を今でもはっきり憶えている


ひょっとしたら、外国との距離感覚が縮まっている現在の交通機関のありようからは、これほどの気概感は理解しづらいかもしれないが、当時はまだ、熊本と東京は本当に遠かった ‥ ( いや、今でも私は熊本は遠いと感じている )





こうして故郷を後にした私だが‥
大学を卒業しても故郷に帰るわけにはいかない私は、自ずと両親との精神的な距離をとらなければならなかった

ブログで二夜に渡り書いたように、絆を強くすれば それだけ縛りが強くなる‥

親が歳をとり、老けて行く姿を見ながらも、ある距離を保つのは辛かった‥

本当なら 側で色々やってあげられる事もあるだろうに、私にはそれが出来ない‥

父も母も それを分かっているから その距離を縮めて私を引き寄せようとはしなかった


私が両親を尊敬することの一つにはこれがある‥

父も母も結局亡くなるまで 一度も「そろそろ帰ってこんね」なんて私に言う事はなかった

一緒に暮らしたい気持ちもあっただろうに、私なんかには甘えないまま 二人共この世を去って行った


‥ おそらく お互いの、こうしたい想いもある‥ ということが痛いほど分かっていたからこそ、許し合えるものがあったのだと思う






滞在したことのある人なら分かると思うけれど、熊本という土地は 人の心が泣けるほど温かい‥
その土地から上京する際、人を余り信用しないようにと口を酸っぱくして繰り返し私に訴えていたのは、これまた意外にも、情の人である母だった‥


母方の血は情に厚い‥
刀の様な切れ味を持つ父方の佐竹の血とは対照的で、佐竹の血は何かを一刀両断に出来る近寄り難い強さがあり、しかし反面 純粋な脆 (もろ) さもまた含んでいた‥
一方 母方の角田の血は悪人に騙されかねない程のお人よしな情を持ちながら、どんな苦境にもめげない雑草の様な逞しさがある


実際に母方の親類には その情の厚さ故に 友人に裏切られ辛い想いをした方もいらっしゃって‥ 母はその大変さを嫌と言うほど知っていた為に、同じ血の流れる私に 母が自分自身に言い聞かせていた言葉を私にも言い続けていたのだと思う


佐竹も角田も 人故の長所短所があるにしても、どちらも悪人など一人として居らず、例え衝突することがあっても それぞれが真っ直ぐな目をしている愛すべき人達であると 胸を張って言うことが出来る




何とか薄めたいと足掻いたその絆の中で、情の厚い母とは 最期まで絶妙な距離感での気持ちの受け渡しは続いていた‥
年老いても離れて暮らす母と子の 滑稽だが温かいキャッチボールだった‥









幼い頃から「情」の中で育てられた私が、家族と離れ東京で淡々と着実に活動していくには、合理的な物の考え方を学び 合理的に動くよう気をつける必要があった

何かをやり遂げる為に、足を引っぱりかねないその自らの情を無視しなければならない場面もある


しかし一方
その情の根ゆえに、私の生む音楽は活きてもいて、自分の内から突き上げてくるその熱さに自分で驚く時さえある








たとえ絆 (ほだ) し痕を残してしまうかもしれないようなものだとしても



私が受け取り,私の中で生きているそういうものは



おそらく 人として掛け替えのない大切なものなのだろう









































コメント→【814/08/29 22:50


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