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 「絆」と「束縛」 
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災害等が起きて 或る地区に甚大な被害が出ると、復興までに長い期間を要する場合があるが、その時にクローズアップされる言葉の一つに「絆」(きずな) がある

孤立し 困窮して行く人が出ないように団結して助け合うというものだ



「絆」は 日常においても、家族,友人,団体,集合住宅‥etc. 多くの関係に発生する






「絆」という言葉は 近年ではその美しい部分だけが取り沙汰されるが
「絆」は、古文で「ほだし」という読みで良く登場する


「絆」(ほだし・きずな) は、馬の足に絡ませて歩けないようにする綱,手枷 (かせ)・足枷 (かせ) ‥ を指す

その繋ぎとめる綱は、自由を束縛するものでもあるのだ

従って 余り良い意味として使われない場合が多く、仏道に於いては妨げとなるものとして扱われる




つまり

「絆」「束縛」は元来 表裏一体であるものなのだ



親子においても、親はその愛情で 身を犠牲にしてでも子を守ろうとするものだが、それ故 子を縛る事にもなり、身を呈するという事は 同時に子に縛られていることにもなる

子が親を想う気持ちも同様に互いを縛るものでもあるのだ


男女の間の愛情とて、互いを好きになり 思い思われ その絆が強くなればなるほど束縛は強くなるものだ

自分は縛っていないつもりでも、気が付いていないだけで、二人の関係性の上下関係なく、作用 反作用のように等しくついてくるものである

都合が良い時だけの上っ面の絆なら、相手が病気になっても放って置くことができるし、健康な人に乗り換えれば良いだろうが、絆が本物なら あるいみ相手に口煩くなりながらも何とかしたいと悩むものであろう


マンション等の集合住宅に於いては、管理組合は、建物全体を保全し合い,災害時などに協力し助け合う共同体でもあり、ある程度の協調性を持ちながら「絆」を形成してゆくものだ‥ だが一方 そこでも ルールという必須なものの中で住民は絆が強ければ強いほど束縛の煩わしさからは逃れられない







人と人との繋がりは、そこに絆の強さを求めれば、同様に縛りも受け入れなくてはならないものなのだ

束縛を嫌うなら 人と深い絆を結ばない方が良いことになるが‥ これがそう簡単な事ではない

人は一人では生きて行けない生き物だからだ

どこぞの無人島で生活している人とて、時折 物々交換で生活に必要なものを手に入れている


ゼロには出来ぬが、その程度をどうするか‥を その人の個性が形成していくものなのでしょう


そういえば‥
マゾヒズムの領域で、縛られたいという性的欲求を持つ人がいるけれど、ここまでの、綱‥ 絆‥ と書き連ねて来た処からすると、そこには「絆」を異常なまでに強く求めてしまう 何かしらの幼い頃からの体験が影響している根深いものがあるのかもしれない










或る人からの「絆」を求めるなら、「束縛」もまた その愛の証として享受すべきなのだろう


凡なる人なら、束縛から完全に逃れるなんて事を目指さないことだ

何故なら、絆を完全に失う孤独な悲しみに その人の魂は耐えられないからだ













全ての絆を断ち切り、俗世の呪縛から解き放たれる事が本当に出来たなら‥



その者は、最早 人を超えた人となる




この地に住みながらも、目には映らぬ領域から 俯瞰し飛翔する者である















































コメント→【214/08/27 23:14


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