「いない…?」
ファインが言葉を繰り返す。
目の前にはエクリプスが含みのある笑みを浮かべている。
まるで、彼女の反応を楽しむかのように。
「だって、いるじゃない」
不穏な空気にのまれたくなくて、ファインはつとめて明るい声で言った。
けれども、エクリプスは頷かない。
「エクリプスは、いるよ!」
ファインの声が少しだけ強さを増す。
きっとこの人はまたひねくれたことを言おうとしているんだろう。
どうしてそんな言葉ばかり使うのか。その心のトゲが消えてくれればいいのに。
けれど
「プリンセス・ファイン。俺の顔は誰かに似ていると思わないか?」
「似てる?」
「アンタが知ってる人の中の、誰か」
スッと彼の瞳が蒼く光る。
深い、月夜のような色。
「…似ているなって、思う人ならいるけど」
「それは、誰?」
胸がざわついてくる。
答えたとして、その先にどんな答えが待っているのだろう。
「ファイン」
黙っている彼女に、エクリプスが先を促す。
「プリンス・シェイドには似ているかなって、思うけど」
満足そうに彼が笑った。
「あたり」
そう言って彼は目深に被っていたつばの大きな帽子を脱いだ。
中から現れた紺色の髪は、脱いだひょうしに少しボサついていて、プリンス・シェイドのキッチリとした雰囲気とは違ったが、確かにうり二つだ。
ファインの顔が興奮で思わず赤くなる。
「じゃあ、エクリプスは…!」
「いいや。悪いが、俺はプリンス・シェイドじゃない」
エクリプスは自分が被っていた帽子を、ポスリとファインの頭にかぶせた。
そうして、彼は片膝をついて目線を低めると、ファインに被せた大きな帽子の下で、大事な秘密を告白するように顔を近づけて言った。
「俺は変装をしてるんだ。月の国の王子様そっくりに」
「え?」
「俺はこの世に存在しない存在。いま、お前が見ているのは俺が作り上げた仮の姿。俺は変装の名人でね。どんな姿にだってなれるんだ。たまたま、月の国に来て、モデルを探していたとき、目にとまったんだよ、この国で一番目立つ存在。プリンス・シェイドにね」
ファインは固まったようにジッとして、瞳だけをクルクルと動かして相手のあちこちを見つめる。
「もしもこの姿に飽きたり、不都合が起きたら、また姿を変える。俺の本当の姿は誰も知らない。俺自身も知らない」
「そんなことは…」
「だから、可愛いプリンセス。エクリプスのことは気にするな。どうせ、役目が終われば消える存在だ」
チラ、と彼はファインのドレスに目を走らせた。
鋭い瞳は、彼女が隠し持つサニールーチェを探す。
ただ、彼はいま、奪うことはしなかった。
さすがに、呆然としている彼女から、さらに物を盗る気にはなれなかったのだ。
彼は自分をあざ笑うように小さく微笑み、そしてファインの頭から自分の帽子を取った。
「ファイン。もう一度、言う。俺はこの世に存在しない。だから俺の心配なんて必要ない。俺は世界中の人間に憎まれても、まったく困らない」
「嫌だ…」
「いないヤツのことは忘れろ」
「やだもん…」
「どんな顔をしたヤツかもわからないんだぞ?」
低く澄んだ、そう、プリンス・シェイドのあの声でエクリプスがささやいた。
「……じゃあな」
あまりに返事がないので、彼はつぶやくように言った。
そして、ビクリと顔をこわばらせたファインを少しだけ優しく見つめる。
「そういや、みんながアンタのことを探しているだろう。だいぶ心配をかけているしな。人目につかないところまでは送ってやる」
そう言ったかと思うと、またエクリプスはファインを軽く持ち上げて、風のように走りだした。
「エクリプス…」
だいぶ木立の中を進んだところで、ファインが不意に声を出す。
「…なんだ?」
「どんな姿でも、私はエクリプスが大事だよ」
相手から返事はなかった。
それでもファインは彼の体温を忘れないように覚えておこうと思った。
城内に通じる扉の一つに着くと、エクリプスはここから中に入るように促した。
「すぐにメイド達のいる部屋がある。そこにいる者に自分の身分を名乗ればあとはすべて上手くやってくれるよ」
「エクリプスは?」
「お別れさ」
言った途端に彼は黒いマントをなびかせて、あっという間に側に木の上に移動している。
「怖い思いをさせて悪かったな。自分のことを大切にしろよ」
彼が枝の上に立ち上がる。また飛び立つ気だ。
「エクリプス、また会おうね!」
必死にファインはそう言った。
彼の姿は宵闇に消えていく。
わずかに、やれやれと肩をすくめたように見えたのが、なぜかせめてもの救いに思えた。
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エクリプスに妙なことを言わせてしまった。
蘭/ねーちゃんから正体をごまかしているコナ/ンくんかい(違)