21/04/23 19:41 (:つれづれ日記)
「ありがとう」が言えない障がい者を支える子供たちは、有志という自爆から逃れられないのか。 

「ありがとう」が言えない障がい者を支える子供たちは、
有志という自爆から逃れられないのか。 

 有志として最初は誇りに思うのでしょうが、
まだ未熟な子供には、継続する負担は大きいと、今になって私は気付きました。
 子供たちで解決させるだとか、
子供同士で助け合うという経験をさせるにも 期限を設けるべきだったのではないか。
 そして、そういうことは、大人が促すべきことだったのではないかと。
 だって、有志を辞めた子供は、投げ出したことを 後ろめたく思うが故に
 そのことから目そのものをそらしてしまうのだから。
 そして、最後まで有志であり続けたクラスメイトは・・・。


 私は、小学生の頃は強度の弱視で、一番前の席からでも黒板の字をノートに書き写すこ
とが困難な生徒でした。
 3年生から同じクラスだった女生徒が6年生になっても、連絡帳を私の分も書いてくれ
ていたんです。 授業のメモはともかく、連絡帳だけは、明日の予定や宿題など 書き損
じるわけにはいかないという 彼女の行為でした。
 彼女の書く文字は 当時から弱視にやさしい丸ゴシックで、私も彼女の文字を真似るよ
うになりました。
それに、イラストがとにかくかわいかったので、私は彼女の挿絵を楽しんでいました。
 中が良かった頃は たぶん 私も「ありがとう」をフツウに言えていたんだと思います
 何がきっかけになったのか、心当たりが多すぎてここには 書ききれないんだけど、
友情が壊れてからも 私は黙って彼女の机に私の連絡帳を置き続けていました。
 彼女もまた黙って私の机に 書き終えたノートを置いてくれていました。

 そんなある日、終わりの会で 彼女の友達であるクラスメイトから
「なぜ うそをつくのか」と質問されました。
 担任は いよいよきたかという風に
「その件は 後で」とクラスのみんなを下校させて 私たち3人だけを残して話をさせま
した。

 今でさえ 弱視は理解されにくいものだと思います。
昨日は見えていなかったものが、今日は見えたり、
文字の読み書きはできないのに、人や車を避けることができたり、
 他にも 子供ではうまく説明できないことや、
なんとなく口にしてはいけないような気がして、うそではないんだけど
あいまいにごまかしていたことなども追及されました。
 例えば 3年生の頃には、夏休みに担任の先生が 家庭訪問で勉強を見てくれたり、
先生のご自宅に招いていただいたりしたことがありました。
 でもそういうことは、自慢したくてたまらないのに 本当のことが言えないから
 「学校に泊まった。」とかごまかしたことがありました。
 それを 3年も経ってから問題にされるとは思わなかったんです。
 そのほか、高価な福祉用具や眼鏡も 実は何割かの負担で購入できていたりと、
子供の頃にはうまく説明できないことで、 嘘つきと言われてしまったんです。

 その時に、
「ゆみちゃんは、連絡帳を書いてあげても ありがとうを言ってくれなかった。」と言わ
れました。
その時の私は、「ごめんなさい」を言わずに ただ 歯を食いしばっていました。
 友情がなくなった後も 頼り続けなければならない自分が情けなくて。
ただ 黒板を書き写す、小学1年生にもできることが 自分にはできない。
 そして、「ごめんなさい。」と言ってしまうと、その事実を認めることになり、
まだ子供だった私には その悔しさに耐えるだけの心の強さはなかった。

 念のため書きますが、話題となっていたJRの記事で 車いす使用者の彼女が
「ありがとう」を言わないことを 私はよいとは思っておりません。
 それとは本質が違うと思っております。

 下記に記す直子さんが書いている記事にでてくる
公立中学に通う車いす使用者の少女のこととして、この先も読んでほしい。

 その少女もまた、ありがとうと言ってしまうことで、
自分は 常に誰かの犠牲の上に生きているといいうことを認めることがつらかったのでは
ないかと思うんです。
 自我が育ち始める思春期には そのことは 周囲が思う以上に重くのしかかっていたん
じゃないかなあ。
 そして、直子の学校生活を犠牲にしていることからも あえて 目を反らしたのではな
いかなって思ったりしています。
 もちろん 私の邪推です。

 ここまで読んでくださったみなさんには この先もどうか読んでいただきたい。

@ここから いただいたコメントです。@

中学の時、車椅子の子と同じクラス、同じ部活でさ、
エレベーターもない公立中学の校舎4階まで毎日行くの。
車椅子担いで階段上がるのに、左右に2人ずつ必要。
更にその子の荷物持つのにもう1人必要な時もある。
最初の内は興味本位で手伝ってくれる子もいてたけど、
その子、「ありがとう」が言えない子だったんよね。
その内手伝ってくれる人が減ってきて、
本人も居心地悪いのか○○学級みたいな1階の養護教室で授業受けるようになったの。
でも部活は違う。
部室は校舎の4階。
しばらくは部員の中でも小学校から一緒のメンバーで養護教室に迎えに行って
部活に一緒に行ってたけど、段々みんな避けるようになって、
私一人で迎えに行って、部室のある校舎の1階でその子を待たせて4階まで行き、
「誰か手伝ってー!」って言って何人か連れて降りて、
その子担いでまた4階まで上がってた。
2年生以降になるとパワハラで「嫌」と言えない後輩を連れて降りてた。笑
でもその子に「ありがとう」って言われたことない。中学3年間ずっと。
最初は言ってたんかもしれんけど、全く記憶にない。
手伝うメンバーが限られてきて、毎回同じメンバーになってきたから言わなくなったのか
な?
それでもみんな「ありがとう」って毎回言ってほしかったと思う。
だってさ、自分の荷物もあって(中学生のカバンは教科書とノートが沢山で、信じられな
いぐらい重い)、
更に絶対に落としたらアカン、人が乗ってる車椅子を4人で担いで4階まで昇る
(昇ったら当然帰りは降りないといけない)のって、めっちゃ重労働!
それを小学校卒業したばっかりの子が毎日!
そりゃあ嫌になるでしょ。
でも「ありがとう」って毎日言われてたら、まぁいっかって思えたかもしれんよね。
私も嫌になったことがあって、ちょっと避けたことあるんよね。
そしたらその子、学校に来んくなって。
ちょうど夏休みだか冬休みの前やったから、そのまま休みに入ってしまって、
「私のせいや」って思ってしまって、休み明けは来るように誘って、学校始まってからは
妙な責任感で、毎日欠かさず手伝ってたわ。
部活の後も、家まで送り届けてたし。
お陰で私はみんなに避けられて。
(何故なら私に関わると車椅子担ぐのを手伝わされるから)
部活でもクラスでもあまり友達が出来ない中学時代を送ったよ。
本人から感謝の言葉はもらえなかったけど、
卒業式の後、その子のお母さんから
「直ちゃんのお陰で卒業できた、ありがとう」って言われた時に、責任果たした感じした
わ。

以上、超長文の「ありがとうって大切☆」な体験談でした。


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