21/02/24 23:41 (:つれづれ日記)
 介護される側と介護する側との 上下関係
※これは私の職場とは全く無関係です。

 事例1.
 Aさんは一人でトイレに行くことができません。
 トイレに連れて行ってほしいとお願いしたところ、
 介護士Bさんの対応は、「ちょっと待ってね。」
 しかし、待っている間にAさんは失禁してしまいました。

 事例2.
 一人ではトイレに行けないAさんがトイレに連れて行ってほしいとお願いしたところ、
 介護士Cさんは、すぐに対応したものの やり方がわからずこまねいている間に
 Aさんは失禁してしまいました。

 どちらの事例も 介護士は「自分が片付けるからいい」と思いました。

 しかし、2つの事例に対しての周囲の反応は全く違いました。
 事例1では、放置されたAさんへの同情のコメントもありましたが、
 事例2では、やり方がわからなくても対応しようとした介護士Cさんに対しての称賛が
多く、
 「結果はどうあれ、対応しようとしたCさんに感謝すべきだ」とのコメントもありまし
た。
 「結果はどうあれ」
 本当に結果はどうでもいいことなのでしょうか?

 Aさんは、トイレに連れて行ってほしいと頼んだのであって、
失禁の後片付けをしてほしいと頼んだのではなかったはずなのですが、
 失禁の後片付けをしてもらったことに感謝すべきという空気になっているのです。

 まだまだ
「してあげる側が常に上」
「してもらう側は常に下」
という上下関係が基盤となっているように 私は思います。

 トイレに連れて行ってもらえなかったことで、失望し、
 失禁したことで悲しい思いをしていても、その気持ちをおいやってでもまずは、
片付けてくれたことに感謝できなければ
「可愛げがない」とレッテルを張られます。

 Aさんは、心のないBさんや
無能なCさんに頼らなければならない境遇を屈辱に感じていました。
 それで、トイレに連れて行ってもらおうとは望まなくなり、
失禁後に片付けてもらうことを望むようになりました。

 それで、どうなったと思いますか?
 Aさんは尿意を訴えることもできないレベルに落ちたのだと誤解されたのです。

 介護士BさんもCさんも 
「Aさんが心を開いてくれることを 待っている」と言いました。

 待っている?
 私は その態度に 疑問を持ちます。
 許しを請うべきは Aさんなのでしょうか?

 

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