隋の文帝(587年)から始まり、清末期(1905年)まで存在した 世界一難関な官僚登用試験。     
3年に一度、中国全土から四書五経を諳んじ、詩歌に優れた人物を30名程度試験により合格させるシステムで、童試→郷試→会試→殿試の段階を経てようやく合格となり、その合格倍率は3000倍とも言われる。
日本で司法試験が今より難関だった頃でもせいぜい30倍だったことを考えると、合格することは奇跡に近い。
1300年間で596回の試験があり、平均合格者の年齢は36歳、最高では76歳の合格者もいた。試験は3日間一室に缶詰状態で行われた。
ちな、各試験でトップの者を郷試では“解元”、会試では“会元”、殿試では“状元”と呼び、 この3つともトップ合格した者は三元と呼ばれた。麻雀の“大三元”はここに由来するのだそう。  

この超難関な科挙に合格した日本人が一人いる。
奈良時代に遣唐使として弱冠19歳で長安に留学した「阿倍仲麻呂」。  
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」 と詠んだ人。( 中国を去る送別の宴の折に詠ったといわれる )
唐の太学で勉学し27歳で及第、わずか8年で難解な中国語経典を諳んじたというから、日本人最強の大天才だったてことやね。
何度も帰国を試みたけれど結局果たせず、73歳にして長安で死去。
あの李白とも仲良くしていたらしいけれど(李白には受験資格のなかった)、才能への自負心が強くて、アウトロー的な生き方をしていた李白と、仲麻呂はどんな話をしていたのだろう…。

月見れば 胸に郷愁あふれける人に ともがら寄り添いけむか