人の情として好むことはあっても、本能的に好きになることは滅多に起きない。
情は関わればそれなりに当たり前に深まってしまう。
情で好んだ相手と一々深く関わるとキリがない。
人の情欲に塗れるのも、自分が情欲旺盛になるのも何より避けたい。
人に執着すること、執着されることどちらも嫌悪を感じる。
執着は瞬間で逃げだしたくなるし、自分に執着心が見えたらおぞましくて全部切り落としたくなる衝動に駆られる。
人の想いの檻には入りたくない。
人に強く思われると身体にも変調が起こる。色欲の思いが来ればいつも同じ身体の部位が反応する。
なかなか過敏な体質で、法則を見つけることにエネルギーを注ぎ生きてきた。
恋愛も数は出来るだけ必要最低限で済ませたい感は年々強まる。
あんなに時間と手間のかかるものはない。
自分を好きと云う人が現われたら、私はこの人オカシイと何故か昔から判断する。
恋愛は自分の本能を優先する。
たぶん…本当は人は人に本能では滅多に惚れてない。
私は全く惚れないと思っていたから初めて人に惚れた時には本当に驚いた。
出会った瞬間に雷が落ちたようにいつもとは違うものがあった。
その時私にはすでに生計を伴にする人がいた。自分が情で交わした約束を守ろうとしたけれど…どうにも止められなかったなぁ。
私も人に惚れるんだと惚れるってこういうことかと知った。
それまでの人とはそれからも何年かは一緒にいたけれど苦痛が限界になった頃相手が去った。去った裏切った相手への罪悪感…それから出会った夜にみた夢で彼に
自分が私に出来ることはココまでと云われた内容があって長い歳月恋愛には陥ったし、彼から生計を伴にする話も出たけれどそれはそらした。
私はその人がとにかく大切で大好きで、ずっと大事にして行きたかった。けれど出会って6、7年後また現われた。その人は好み的には最悪なタイプだった…。
これまた前以上に驚いた。
同時に惹かれて行く自分の気持ちが悲しくもあった。
最初の彼は無条件に好きだった…人間的に私の思想に外れるところはほぼ無かった。好きで居ること好きで居続けることに努力がいらなかった。
私が怒られることはあっても、私はそれに納得したし意見が食い違うことは一度だけだった。
それは、彼の言い分はごもっともで最高に悲しい出来事だったけれど食い違っても仕方のないことだった。
私は彼をただただ好きだったのだろうと思う。
純粋に人を好きになれたのだと思う。
けれど今思えば愛するとは違ったように感じる。
苦労もなく、いつまでも好きで居られる存在だった。
父と娘のような感じ。
好きな分だけ生計は一緒に出来ない条件で授かった幸せに…その枠を越えない努力にいつも大量の悲しみが付きまとった。
今…次の彼は違う。
何から何までメンドクサイ。手がかかる、厄介。
それでも手が放せないのは本能で…愛と云うものなのだろうか?
母と息子のような感じがする。
息子は王子様で無条件に色々出来ちゃうけれど、他人の息子はそぅもゆかない。
出会いは授かりもの。
因子と因子の引き合い…化学反応のように感じる。
神様って、よくプロデュースしてるわぁと…なるほどねぇと感じる。
二人とも出会った瞬間がいつもと違った。
天の知らせと同時に相手が視界に入るような。
初めて惚れた人、今の人。何年も二人と関わり続けた。一人と12年一巡のサイクルで関わるらしい。
さてこれからどうなるのか?
私は自分から求めない。
与えられたもので、与えられた中で精一杯向き合い生きる。
これが私の決めごと。
私の取り柄は、唯一つ。
感のみだ。
共存するってどういうことなのか?勉強させられているような気がする。
話題:彼女(彼氏)より好きな人ができた瞬間。