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親になる資格とは?
資格もない人間が子供を産むな的なご意見が多々ある感を受けます、そのご意見も頂きますが………。
その資格の具体的内容はどんなことなのだろうか?
何を指しておっしゃるのか?焦点が定まらず、これにも格差があるのでしょう。
私は、人となりの最低限を整えるのはその親であるおばあちゃんなりおじいちゃんになる存在が育てるもの躾けるものだと思います。
育てる義務は子の親にある…と、思っています。
けれどこれも今の世の中の状況ではこの世の中の仕組みでは難しいことだとも感じます。
資格がないとおっしゃる矛先は、その本人にだけに向けるものではない。
環境が人を育てます。
今、成長過程で赤ちゃんと接する生活が出来る環境にある人は少ない。
親になる前に親となってからの具体的な実習が出来るとすれば、無言の植物を育てることや動物を飼育すること位でしょうか。
私は生まれてたの赤ちゃんを初めて抱いたのはわが子が初めてでした。
もう何年も何年も前の話。
あの感覚、あの温かさ、あの衝撃と感動は…そしてお腹を傷めて痛めて産んだ時の体験を通して自分が誕生した時のことを想像し…産んでくれた親に実感をともなっての感謝をした…それは忘れない…忘れられないものです。
大変だっただろうと想像しての感謝と、大変だと実感しての感謝は違う。
子育ては教科書では学べない。育児書通りに事は運ばない。すべて実践して子供を通して知り得るもの。
自分が子供にする、子供がそれに反応する。その結果その反応が悪く表れたら自分が工夫して改善する。
それをしなければ赤ちゃんの暮らしは心地よくはならないものです。
この毎日の当たり前の一刻一刻を積み重ねる生活をするかしないかは人生の大きな違いです。
その作業の積み重ねが親が親になることです。
子供と関わる時間すべてが親として親と成る作業です。
親になるためには、親になるしかない。
親として子供と関わり、親として世間と関わるしかない。
それをしなければ親は親にはならない。
仕事をするために保育所に預けたら、その分親になれる機会は失うということ。
産んだだけで出来ることは、産みの苦労を実感として知り…産んでくれた親に感謝出来たこと。
それ以外に出来ることはない。
子育ては、人を知ることでもあります。
人というものの本質…作り命の神秘・命の尊さを知ることです。
赤ちゃんは、自分では何も出来ない。
心地よくなければ泣く、泣いた知らせに親はその泣いた原因を探る。
泣き止んでもらえるように相手の心地よくない原因を探して目星をつけ実践する、違ったら泣き止まずまた原因を探す。
それはエンドレスに続きます。面倒で嫌だとそこで投げたら赤ちゃんは生きてゆけない。
自分の世話が出来るようになってもこの作業は段階に合わせて生涯続くもの。
親は一生親です、子供は親にとって生涯子供です。
戦後…この何十年、この国の政策は労働者人口を増やし収入を増やし納税者人口を増やすことに力を注いできた。
納税者人口が増え税収を増やし、それで収入が増えたのは誰?
役人の収入は増えたけれど国は?国民の暮らしは良くなったか?この国の心配ごとは少ないか?
現実は心配だらけな世情。
労働者である国民の収入は汗水垂らした分確かに増えた。増えたけれど余裕があるか?
何でもお金がかかる。子育ても膨大なお金がかかる。かかる以上に見栄えや贅沢をもりこみ行事の金額も備品の金額も請求される。
かかってかかってのお金は請求され支払わないわけにはいかない。
親には養育の義務がある。子供には養育の権利がある。
その現実は働けない老後の暮らしの貯えまではなかなか残せない。けれど今後納税者は減る一方納めた財源以上に国が守ってくれるとはとても思えない。
物理的に不可能なこと。
現実はかなり心配だらけな状況です。
さらに親の老後を支えよう気持ちは希薄。
自分以外の人の生きる経費を捻出するって大変なことある日問題が起きてその経費を用意出来るか?その分多く働けるか?早々簡単に出来ることではない。
人は権利だけを主張する、権利だけを欲しがる。
けれど権利を得る=義務が発生することを忘れている。
子育てに知識の資格なんてない、命を授かったすべてに資格はある。
頭で無く想像でなく空想でなく、心で身体でクタクタになって育てながら人を知ればいい。
人を知って欲しい。
子育ては人を知り、自分という人を知ることに他ならない。
理想論で人をいくら裁いても、何も変わらない。
人として生まれたからには親として手塩にかけて育てた子から愛される幸せを一度は実感してほしい。
話題:子連れの親、家族