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好きなだけ一緒に

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好きなだけ君のそばにいられたら…どんなに幸せなんだろう
と思うけれど

僕には自由がない


いつか僕の仕事の引継ぎが終わったら
その頃には君とゆっくり穏やかに過ごせるだろうか

そう信じて今は生き抜くしかないんだよね



話題:逢 い た い

狂おしい欲のこころ。



君を想う狂おしい気持ち


君を想うばかりに生まれる狂おしい欲
その想いは君を壊してしまうことを僕は知っている

人の欲は破壊する
人の欲は調和を壊す

人の欲はこの地球をここまで損壊させた

僕は僕に出会う前にすでに輝いた君に惹かれた
僕の欲で、君を壊したくない
僕の欲で、君の輝きを損なわせたくない

僕はただ君を守りたい
僕は君を君の輝きを守りたい

君を好きな僕を守りたい
君を失いたくないんだ



話題:本音。

外に漏れる情報は全容のごく一部よね。




夫婦喧嘩は犬も食わない。
食ってはいけないんだよね。

夫婦の内情なんてその子供から見ても不透明なもの。こちらにはどうでもよいことでもずっとこだわって文句云ってる。

部外者からすると何でもいいから巻き込まないで!としか思わない。
その二人だけのオリジナルの擦った揉んだだから部外者には判断つかない。

イヤなら縁切りする方法もあるけど切らない。それが夫婦なんだろう。

イヤもよく知っているけど、同じくらいよいところも知っていて…けれどいいところは当たり前に馴染んでいくのだろう。

夫婦の間に挟まって争いに巻き込まれるほど迷惑な話もあまりない。エンドレスなんだもの。本当に関わりたくない。

結婚の
病める時も健やかなる時も…って誓い。

あれは身体が病むよりむしろ心よね…二人の関係が病んでもお互いに思い合って譲り合って折り合いをつけて健やかにする努力をします。

と云う約束…宣言よね。

それが出来ないと破局するから誓いをする。


夫婦はわかりやすい合わせ鏡だと思う。相手が病んだらこちらに原因がある。

生活文化の違う他人が一つ屋根の下に暮らすのだから摩擦が起きないはずはない。何から何まで違うのょね。余所のお家に泊りに行って楽しくもあるけど疲れる。いつか帰れるから楽しい。そのうち我が家に帰りたくなる。

でも結婚は帰れない。
なぜか衝突する。
それはお互いの違文化ゃ価値観がそうさせる。
まずそこに気付かないといけない。それからどうするか?

ガマンしちゃって自滅する人もいる。ぶつけても耳も貸さず…わが道を一人突っ走る人もいる。

お互いに耳を貸して、譲れるもの譲れないもの振り分けてお互いに譲歩して二人の文化を築けるようになるといいのよね。

けれどこれも知っていても簡単にそう出来るか?と云えば違う。

まず一緒に過ごさないとそこまで掘り下げることは難しいだろう。

自分の当たり前な習慣は説明出来ないものよね。一緒に過ごして違和感を相手に感じて指摘してもらわないといけない。

指摘の仕方次第で素直にも激怒にもなる。

どちらかぃぃわけでも悪いわけでもなく、どちらが正しいわけでも間違っているわけでもなく…ただ違うだけ。

恋が出来たからといって、その延長で夫婦は勤まらない。
夫と妻となれば…そこでそれぞれの立場になるし役割が違えば違う立場の意見がぶつかることは起きる。

これは当たり前よね。
それぞれの言い分がある。言い分は他人に話しても何も変わらない。
親は同じ文化の人間なんだから、当然自分に賛同しておかしくない。

だからと言ってそれが正しいものでは決してない。
たぶん親に相談したら逆効果になる可能性の方が高いだろう。

続けるための知恵としてまわりがとやかく云うことは助けになるかもしれないけれど、それは違う文化の人の方がぃぃ。
けれどこれはもう終わったこと。

相手のせいにして自分は悪くないをアピールしたければ好きなだけすればいいと思う、親が子供の評判を守りたければそれも親心だと思う。

でも結婚の質を知らないなぁと思う、それをさらに周りが真に受けることもない気がする。

離婚は誰かのせいでなく相手のせいでなく…自分が自分でした誓いを守れなかっただけの話。
部外者はその二人に結婚してくれなんて頼んでない。自分で選んで自分で実行したこと位潔く在ってほしい。


これも結婚をしてみたら、してみたぶんだけわかること。

2年のスピード離婚ってそんなにないだろうから、きっとそれ以上続けられたらわかるかもしれないね。


芸能人同士の結婚生活って一般人よりももっと過酷だろうと思う。

婚姻の続いている芸能人夫婦は逆に人間的にすごい方達なんだろうなぁ。

結婚に甘い夢はない。
生活なんだから、夢は一瞬だから夢なのよね。
夢を実現するには並々ならぬ努力と忍耐がいる。

でも添い遂げたら、幸せなんだろうなぁ。
親の幸せの姿をぜひ見せてもらいたいと思う。
尋常でない苦労の連続の母の苦労をいつも見てきたから、そのお陰あって私は両親揃って育ててもらっている。

有り難いなぁと思う。
人の家の芝生みて羨ましいと思っても、我が家の雑草はきれいにならない。

人の家の荒れた庭を見たからと言って不法侵入して草むしりしない、出来ないのょね。

どんな庭にしたいかわからないからね、その家の人が何をむしって何を育てたいかわからないから。

あなたはどんな庭を作りますか?作りたいですか?

これは二人でつくるもの…

男は種
女はよき大地であれ

男が無数に噴射する種を
女は吟味して
伸ばしたい種を選び
不要は捨て
種がよく育つように
常に整地に努める

これが夫婦の関わり


話題:藤原紀香さん離婚について

資格って?

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親になる資格とは?
資格もない人間が子供を産むな的なご意見が多々ある感を受けます、そのご意見も頂きますが………。

その資格の具体的内容はどんなことなのだろうか?
何を指しておっしゃるのか?焦点が定まらず、これにも格差があるのでしょう。

私は、人となりの最低限を整えるのはその親であるおばあちゃんなりおじいちゃんになる存在が育てるもの躾けるものだと思います。
育てる義務は子の親にある…と、思っています。

けれどこれも今の世の中の状況ではこの世の中の仕組みでは難しいことだとも感じます。


資格がないとおっしゃる矛先は、その本人にだけに向けるものではない。
環境が人を育てます。

今、成長過程で赤ちゃんと接する生活が出来る環境にある人は少ない。
親になる前に親となってからの具体的な実習が出来るとすれば、無言の植物を育てることや動物を飼育すること位でしょうか。

私は生まれてたの赤ちゃんを初めて抱いたのはわが子が初めてでした。
もう何年も何年も前の話。

あの感覚、あの温かさ、あの衝撃と感動は…そしてお腹を傷めて痛めて産んだ時の体験を通して自分が誕生した時のことを想像し…産んでくれた親に実感をともなっての感謝をした…それは忘れない…忘れられないものです。

大変だっただろうと想像しての感謝と、大変だと実感しての感謝は違う。


子育ては教科書では学べない。育児書通りに事は運ばない。すべて実践して子供を通して知り得るもの。

自分が子供にする、子供がそれに反応する。その結果その反応が悪く表れたら自分が工夫して改善する。
それをしなければ赤ちゃんの暮らしは心地よくはならないものです。
この毎日の当たり前の一刻一刻を積み重ねる生活をするかしないかは人生の大きな違いです。

その作業の積み重ねが親が親になることです。
子供と関わる時間すべてが親として親と成る作業です。

親になるためには、親になるしかない。
親として子供と関わり、親として世間と関わるしかない。

それをしなければ親は親にはならない。

仕事をするために保育所に預けたら、その分親になれる機会は失うということ。

産んだだけで出来ることは、産みの苦労を実感として知り…産んでくれた親に感謝出来たこと。
それ以外に出来ることはない。


子育ては、人を知ることでもあります。
人というものの本質…作り命の神秘・命の尊さを知ることです。

赤ちゃんは、自分では何も出来ない。
心地よくなければ泣く、泣いた知らせに親はその泣いた原因を探る。
泣き止んでもらえるように相手の心地よくない原因を探して目星をつけ実践する、違ったら泣き止まずまた原因を探す。

それはエンドレスに続きます。面倒で嫌だとそこで投げたら赤ちゃんは生きてゆけない。

自分の世話が出来るようになってもこの作業は段階に合わせて生涯続くもの。
親は一生親です、子供は親にとって生涯子供です。


戦後…この何十年、この国の政策は労働者人口を増やし収入を増やし納税者人口を増やすことに力を注いできた。

納税者人口が増え税収を増やし、それで収入が増えたのは誰?
役人の収入は増えたけれど国は?国民の暮らしは良くなったか?この国の心配ごとは少ないか?

現実は心配だらけな世情。


労働者である国民の収入は汗水垂らした分確かに増えた。増えたけれど余裕があるか?

何でもお金がかかる。子育ても膨大なお金がかかる。かかる以上に見栄えや贅沢をもりこみ行事の金額も備品の金額も請求される。

かかってかかってのお金は請求され支払わないわけにはいかない。
親には養育の義務がある。子供には養育の権利がある。
その現実は働けない老後の暮らしの貯えまではなかなか残せない。けれど今後納税者は減る一方納めた財源以上に国が守ってくれるとはとても思えない。

物理的に不可能なこと。
現実はかなり心配だらけな状況です。


さらに親の老後を支えよう気持ちは希薄。
自分以外の人の生きる経費を捻出するって大変なことある日問題が起きてその経費を用意出来るか?その分多く働けるか?早々簡単に出来ることではない。

人は権利だけを主張する、権利だけを欲しがる。
けれど権利を得る=義務が発生することを忘れている。

子育てに知識の資格なんてない、命を授かったすべてに資格はある。

頭で無く想像でなく空想でなく、心で身体でクタクタになって育てながら人を知ればいい。
人を知って欲しい。

子育ては人を知り、自分という人を知ることに他ならない。

理想論で人をいくら裁いても、何も変わらない。


人として生まれたからには親として手塩にかけて育てた子から愛される幸せを一度は実感してほしい。


話題:子連れの親、家族

どっちもどっち?



人の親が非常識とおっしゃる人の言い分も一理あるのでしょうが

以前も申し上げた通り、人様の親を安易に批判するのはよろしくないと思う。

親しき仲にも礼儀有り、人の親を悪く云ってはいけないは最低限のマナー。

人の親人口は日本の歴史上かなり少ない今、子供を育てることに理解のない人もとても多い。

子供のことは割り切って育てろと云う会社も社員もいるし、言わなくてもそんなこと思う人も少なくない。

人の親だけが憎々しくこうして吊し上げられるのは人の親人口が少ないからなのかしら?


人の親になってすぐ親として百点満点は取れるものではない。
親としての年数、親として子供と関わった時間、育てた人数でも格差がある。

親の苦労は親にならなければわからない。

親になったら孫の顔が見たい、孫を抱きたいと後々思う。

命をくれた人の何よりの願いを叶えているかしら?

わが子がそんな批判していたら、そんなことはどうでもいい!私に孫を抱かせてちょうだいと云うだろうなぁ。


話題:子連れの親、家族
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