2018-8-14 10:06
緑のトンネル、生命の名
向こうの家族が心配するほど榊が泣くから、僕は泣かなかった。泣けなかった。
祖母の別れのツラさから立ち直ったばかりだからか、躁転しているからか。正直なんともなくて。榊の悲しみ方に醒めている自分にさらに醒めていたりする。
「あの時」の僕もこんな感じだったのか。なんでもかんでもこじつけて、しみったれて、自家醸造酒的な涙にいつまでも酔って。……榊をディスってるわけじゃないけれど、そんな状態なのだ。
パートナーを支えて、癒す時ですよ、そのための泣けなさですよ、と言われたとしても、こういう時はそっとしておくのが一番だと思うのだ。彼のためにも僕のためにも。悲しみってどうにもできないから。そっとしておいて、いつもの日常をまわすことだけしてればいいよね。
悲しむだけが供養じゃない。泣けない自分を責める必要はない。オジサンの毎朝の一言、晩年にあたっては「頑張ってきてください」だったわけだから、僕には泣いて欲しくないんだと思う。
締め切りの仕事を途中で切り上げ、上司に押し付け、駆けつけて。今日は実家からの呼び出しで帰省で休暇。明日はお盆で早店じまいになる予定で、僕が間に合わないからと穴埋め出勤させてもらえず。
振り回され、振り回り、振り回している夏。
精神的にいろいろキツイ。いっそ露骨に嫌って叱って断ってくれたら楽だ。なんでも許してくれるから、ふと瞬間疑心暗鬼になる。これまでの一致が、そうではなくなってきて、新しいバランス点を探している。だから気持ち悪い。のかもしれない。
しっくりこない胸を抱えながら田舎に帰る。リセットなんてできるか。するしかない。
過去には戻れない。どんな明日になろうとも僕の新しい地点を探す。しかない。
悲しみの表出とは本当に人それぞれで、それは『涙の量』では計れず、『自覚』という点ではもっと計れない、計り知れないものであると私は思います。つまり『自分が悲しいと感じない、涙が流れない、だから、自分は悲しんでいないんだな』とか『自分は非情だな』とか思うのは、間違えているのだと私は思います。
だから、うん、鮎川さんのやっていることは間違えていないって、思いますよ(⌒‐⌒)
それから、職場…これまた理解力が足りているか?だし、実際を知らないから思うのかもですが、日頃、鮎川さんが真摯に勤めているからこそ、そうやって許してもらえるのではないかな〜と。きっと、知らず知らず、鮎川さんも相手を許して受け入れているんだと思います。
自信を持って、とは言いません、それって結構難しい。けど、きっとこれまでの鮎川さんは間違えてないから、これからも大丈夫だと思います。
ごはんちゃんと食べて(私は食べ過ぎに注意して)お互い、暑さに打ち勝ちましょうね!
では、また(*´∇`)ノ
コメント有難うございます。
僕が敢えてボカして書いているせいなので、まるさんに原因はありませんよ。
とはいえ、内容も内容だったため、より気を遣わせてしまったみたいで、スミマセンでした(⌒-⌒; )
近所のお爺さん(おとうさん)が亡くなったんです。本当に孫のように可愛がってくださった方でした。今の町に愛着を持てたのもこのおとうさんとの交流があったからだなと、居合わせた参列者の方と話をしていて思いました。
仕事の方も、昨日出勤しましたが、問題なかったようで。それほど手を加えられてもないし、周りの人達の反応からしても、本当に僕の気にし過ぎだったみたいで。
相変わらず考えすぎ・気にし過ぎな性分で、恥ずかしいです(−_−;)
僕も今夏は珍しく食べ過ぎ傾向です。今年は本当に酷い暑さですから、たくさん食べてパワフルに乗り切りましょう。その先には美味しい季節が待ってます。
いつもコメントありがとうございます ^^