緑のトンネル、生命の名

向こうの家族が心配するほど榊が泣くから、僕は泣かなかった。泣けなかった。

祖母の別れのツラさから立ち直ったばかりだからか、躁転しているからか。正直なんともなくて。榊の悲しみ方に醒めている自分にさらに醒めていたりする。

「あの時」の僕もこんな感じだったのか。なんでもかんでもこじつけて、しみったれて、自家醸造酒的な涙にいつまでも酔って。……榊をディスってるわけじゃないけれど、そんな状態なのだ。

パートナーを支えて、癒す時ですよ、そのための泣けなさですよ、と言われたとしても、こういう時はそっとしておくのが一番だと思うのだ。彼のためにも僕のためにも。悲しみってどうにもできないから。そっとしておいて、いつもの日常をまわすことだけしてればいいよね。

悲しむだけが供養じゃない。泣けない自分を責める必要はない。オジサンの毎朝の一言、晩年にあたっては「頑張ってきてください」だったわけだから、僕には泣いて欲しくないんだと思う。


締め切りの仕事を途中で切り上げ、上司に押し付け、駆けつけて。今日は実家からの呼び出しで帰省で休暇。明日はお盆で早店じまいになる予定で、僕が間に合わないからと穴埋め出勤させてもらえず。
振り回され、振り回り、振り回している夏。

精神的にいろいろキツイ。いっそ露骨に嫌って叱って断ってくれたら楽だ。なんでも許してくれるから、ふと瞬間疑心暗鬼になる。これまでの一致が、そうではなくなってきて、新しいバランス点を探している。だから気持ち悪い。のかもしれない。

しっくりこない胸を抱えながら田舎に帰る。リセットなんてできるか。するしかない。


過去には戻れない。どんな明日になろうとも僕の新しい地点を探す。しかない。