クリム

僕は美大生じゃない。芸大生でもないし、デザイン系の学校や学科すらも出ていない。


美大生を探してる人に、美大生じゃないけど君は美術部にいたらしいから紹介したいと話を持ちかけられて、僕の悪い癖である天邪鬼が出た。

最近というかもう5年以上、10年近く絵を描いてない。絵筆も絵の具も物入れの一番下にしまいこんだまま。それくらい描いてない。

僕が描けなくても、絵の描ける知り合いがいるし、その人経由で他にも候補を出せるだろうと考えて、口からも漏らしてしまった。
美大生探してるくらいだから、僕には相当なプレッシャーで、一目散に逃げ道を探してしまったのだ。

でも、自由に絵を描かせてもらえるチャンスなんてなかなかないもので、さらに、歳を重ねるごとにそれはものすごく減る。それこそ描くチャンスが稀すぎてピンチに思えるほどだ。だからきちんと引き受けようと考えている。

こんなことがなければもう絵を描こうなんてしない。役に立てることも、引き立ててもらうことも、新しい経験をすることも、立ち向かうことも、取り組むことも、しない。

絵を描くことはプレッシャーだ。描くことから遠ざかるほどに、自ずと増すばかりの、類の、恐ろしいプレッシャーだ。生温い気持ちで絵筆を握っては、そのぎこちなさといたたまれなさ、居心地の悪さに何度も投げ出した。自己嫌悪にも近い。

プレッシャーをじっと静かに受け取ろうと努めると、その向こうにやりたいと思ってる僕が見える。本当は嬉しいんだ。本当は楽しみなんだ。きっと、本当の僕は、やりたいんだ。若干の希望的ニュアンスが含まれることは否定しないが、真実味のある質量を伴った実感のような、あるいはその逆、実感のある真実味のような、不思議で確かな感触を夜のガラス越しに感じていた。


僕がどんな絵を描くかなんて仕事を通して一応は分かってる人が持ちかけるのだから、きっと大丈夫。そう自分に聞かせる。

これまでも頼まれてやったことはいくらでもある。相手に渡し終えるまではツラくて仕方がない。榊に「そんなにストレスになるなら、もうやめろ」と言われるくらい。でもそれくらい毎回一生懸命だった。その時は自覚してなくて、何年か経ってたまたま見返した時くらいにようやく、ちゃんとやってたんだなって安心する、そんな程度だけれども。


僕にできるかな。やりたい。つまづいてもそれは経験として引き取る覚悟をして。

心配はしても不安は持たないようにしたい。絵に出てしまうから。だったらハッタリでも明るく楽しんでしまえばいい。

今回はいつにもなく家族にも榊にも引き立て役の人にもエールを頼もうと思う。しっかり、僕として取り組み、向き合いたいのだ。どうか見守っていてくれるように。