ポア



 滑稽だ、可笑しくて吐きそう。塩田はそう言うと俺の髪の毛を掴んで引き寄せた。抵抗する暇もなく、鼻の頭を噛まれる。容赦なく歯を立てられると俺の鼻は当たり前のように鬱血した。それを見て、塩田はうっとりと目を細める。あいつは頭がおかしい。遠い星からきた宇宙人なのかもしれない。
「俺があんたを困らせてるってことに興奮する」
 寮で同室になったのは偶然だ。それだけで塩田はこわいほど俺に固執した。
「変態」
 俺が罵ろうが、塩田は楽しげに笑うだけで、その素行を改善しようとはしない。苛ついて殴ろうとしたら、逆に捕まえられて乱暴に頭を撫でられた。次々と感情をかき回されるのは気分が悪い。
「おまえなんか嫌いだ」
「どうして?」
「意味が分からないから」
「男って謎に惹かれるものじゃないの?」
 軽口を叩きながら俺を抱きしめようとする塩田の手を本気で振り払う。
「触るな」
「…そうだ。お風呂に入れば?」
 唐突にそう言った塩田は、すでに眠る準備をして布団にもぐりこんでいた俺をそこから引っ張り出した。節約のために暖房は入れていないから、布団の外は一気に温度が下がる。
「離せよ、ふざけんな」
「ふざけてない」
 抵抗する俺を引っ張って、塩田は共通の風呂場につくと俺をそのまま浴槽に投げ入れた。服ごとずぶ濡れになって呆然としてる俺の頭上に、シャワーの冷水が降り注ぐ。
「冷たい!」
「ああ、そうねえ、冷たそう」
「この、ばかっ」
 腕を振り回して殴ったら塩田はあっけなく尻餅をついて倒れた。俺は立ち上がって、まっすぐに塩田を見下ろす。こんなひょろひょろの身体で、よくここまで俺を連れてこられたものだと少し感心した。塩田もまっすぐ俺を見ていた。少しくらい傷付くか怒るかの顔をするかと思ったら、塩田の目には怖いほど温度がなかった。
「拒絶されるのきらいなんだ」
「なら俺にかまうなよ」
「でも、あんたは好きなんだよねぇ。俺を拒絶するところとか」
「……」
「好きだよ」
 出っぱなしのシャワーの水が、こんどは塩田のズボンを濡らしている。二人とも何秒か無言だった。何分かもしれない。何十分かもしれない。先に沈黙を破ったのは塩田の泣きそうに震えた声だ。いつもの塩田からは想像も出来ないようなか細い声で、はじめは、誰が喋ったんだか分からなかった。
「なんか、わかんない、もう」
 揺れる双眸でこちらを見つめる塩田は、まるで人間のように怯えていて、俺は気付く。彼は頭がおかしくなんてなかった。宇宙人でも何でもなかった。単純で臆病で不器用な、俺と同じただの人間だった。それからしばらくして「ごめん」とつぶやいた塩田に「もういいよ」と返すと、塩田はふにゃりと笑った。数分後、座り込んで動かない塩田を置いて俺は風呂を出る。バスタオルで身体を拭いていると、うす暗い窓の外から、虫がライトに当たってバチンと感電する音がした。外はもうすっかり十二月だった。



090329



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