斜め横の海



 彼女がリンゴをかじるのを見ながら、カラスはコツコツと窓を叩いていた。
「外に出たいの?」
 彼女が問いかけるが、カラスは何も言わない。
「黙ってちゃ分からないよ」
「カラスは喋らないと思うんだけど」
 困った顔の彼女に言えば、こちらを向いて綺麗な顔をしかめる。
「喋るの、この子は」
 そう言う彼女の顔があまりにも真剣なので、僕は「ふうん」としか言えなかった。
「そのカラス、どこから拾ってきたの?」
「あのさあ。カラスじゃなくて、カモメよ。カモメ」
「…ああ、そうだったっけ」
 彼女が口笛を吹くと、全身まっ黒のカモメは彼女の肩にとまった。本当によく懐いている。
「この子はね、海にいたの」
「この辺に海なんてあったっけ」
「マンションの斜め横にあるでしょ」
 彼女は猫を犬と呼んだりキリンと呼んだりする。犬も、ブタとかゾウとか色々。あとはカラスをカモメと呼んだり。彼女の中での定義が、僕にはよく分からない。だからきっと彼女の言う「海」も、きっと僕の思っているような、たくさんの潮水が波打っている海じゃあないのだ。
「ケガをしてたから、私が『大丈夫ですか』ってきいたら、『大丈夫じゃないです』って言ったの。だからここにいるの」
「ふうん」
 それってつまり、僕と同じだ。お腹がすいて道端で倒れていた僕に、彼女は『大丈夫ですか』ときいて、僕は『大丈夫じゃないです』と答えた。だからここにいるのだ。もしかしてこの部屋の中にいるいろんな生き物は全部、そういう風にして彼女に助けられたんだろうか。
「なあ、お前もそうなの?」
 彼女がカモメをつれて外へ行ったので、僕は先ほどからずっと頭を撫でていた犬(彼女が言うにはオウム)に問いかけてみた。犬は気だるげに僕をちらりと見上げただけで、何も言わずにまた視線をそらして遠い目をした。他に誰もいないのに、僕は少しだけ恥ずかしくなって、ぽりぽりと頭を掻いた。



090328



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