角の生えた犬



 犬の頭に生えた鋭い角に、人間が刺し殺される夢を見た。僕は悲鳴を上げたがその声は誰にも届かない。単色で色づけられたぎこちない世界の中で、その人は何の感情もなく、ただ淡々と角に突き刺さっていた。腹から流れる血は赤いんだか青いんだかよく分からない色だ。
「おい」
 ふいに乱暴な仕草で肩を揺さぶられ、僕は唐突に現実へ引き戻された。
「大丈夫か」
 よほどうなされていたのか、隣の部屋に眠っているはずの兄がベッドのそばにいて心配そうに僕を見下ろしている。
「ごめん…」
「すげえ汗。水かなんかいる?」
「大丈夫」
「何の夢を見たんだよ」
「忘れた」
 汗をぬぐいながら嘘をつく。
「もう平気だ」
 早く兄を部屋から追い出そうと、背を向けて布団を被りなおす。ところが後ろで小さくぎしりとベッドが軋む音がして、彼が座りこんだのが分かった。やわらかなベッドが彼の体重によって沈み、距離がなくなる。兄の温度を背中に直接感じて不思議な気分だった。
「手でもつないでいてやろうか」
「ひとりで眠れるよ」
 からかうように話しかけてくる兄に苛々してそっけなく応えたが、彼はおかしそうに笑うだけだった。
「昔はよく一緒に眠ってたよな」
「もうそんな年じゃないだろ」
「なんだよ。やけに冷たいんだな」
 僕は答えずに布団の中で身じろぐ。夏に近付いた室内の空気はじっとりと湿っていて、少し暑い。
「なあ何の夢を見たんだ?」
「…犬だよ、角の生えた犬がいたんだ」
「へえ」
 興味深げな声で兄はうなずく。彼が身動きをしてまたベッドが軋んだ。
「何色だった?」
「分からない」
「黄色だな」
「そう…だっけ」
 あまりに自信たっぷりに断言をされて、本当にそうだったような気分になる。僕は首を傾げて、兄は続けた。
「誰かが刺されていただろう」
「なんで、」
「あれは俺だ」
「え」
「そんでイヌは、おまえだよ」
「僕?」
「そうだよ。つまりおまえが俺を刺したんだ。まったくひどい弟だよな」
「あのさあ」
 ご機嫌で続ける兄を遮った。
「兄貴の血も赤いの?」
「見たままがおまえの真実だろうよ」
「…うん」
 僕はうなずいた。兄は喋るのをやめた。そうしてただ無言で、布団ごしに震える僕の体をぽんぽんとやさしく二度叩いた。たった二度。それだけで僕はバカみたいに安心して、そのうちゆっくりと目をつむる。まるであの角の感触をもう一度思いだそうとするみたいに深い眠りについた。兄がそっと部屋を出る気配すら、僕にはもう届かない。



090302



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