アルファ



 土曜日の昼過ぎ、何気なくテレビをつけたら狼の群れについての特集の再放送をやっていた。それによると彼らの群れの中では強い順位がきちんと決まっていて、一番強いのをアルファ狼というらしい。下のものが上のものに対して行う腹見せという行為は信頼と服従の証しだそうだ。特にすることもないのでジッとその番組を見続けていたら、唐突に宝くんに会いたくなった。ので、その旨をメールする。今日は雨が降っているからか、宝くんから返信はなかった。
 「汗かきたくない」が口ぐせの宝くんは無気力で面倒くさがりでだらしのない高校生だ。わたしはそんな彼の、背が高くて髪が黒いところが気に入っている。何分待っても宝くんから返信がないので、暇つぶしに宝くんのいいところを全部紙に書き出してみた。やっぱり彼のいいところは背が高くて髪が黒いことだけだった。
 しびれを切らして携帯に電話をかけたら、聞き慣れた着信音がわりと近くで聞こえた。ドアの向こうからだ。宝くんはもうわたしの家の前まできていた。
 返信する間も惜しんで、雨の中を傘もささずに走ってきたと思われる宝くんの全身はしとどに濡れていた。
「どう、したの、花代さん…」
 扉を開けてやると、まだ息が整わないうちから話し始める。
「なにが?」
「会いたいって、メールしたろ」
「うん」
「初めてじゃん」
 だいぶ落ち着いてきたのか、宝くんの口調もだんだん滑らかになる。「なにかあったの?」
「なにもないよ」
「ふーん」
「ただ会いたくなった」
「それはよかった」
 宝くんは少しだけ笑って、びしょ濡れのまま家に上がり込みながら、照れ隠しをするようにわたしの頭をぽんと叩いた。勝手に勘違いして慌ててぐしゃぐしゃになった彼を見ながらなんて滑稽で愛おしいんだろうと思う。
 可哀相。こんな女に振り回されて可哀相。わたしは可哀相な宝くんがすき。
「…ちょっと、何してんの花代さん」
 こたつにもぐり込もうとした彼を捕まえて制服のボタンに手をかけたら、彼は当然驚いてわたしを押し返した。
「おなか見せて」
「え?」
 怪訝そうにする彼を見つめながら、先程まで見ていた狼の番組を思い出した。信頼と服従。
「シンライとフクジュウなの」
「意味が分からない」
「だめ。見せて」
「いやだよ」
「…」
 言い合っていてもらちがあかないので無言で手を進めていたら、宝くんがわたしの両手を掴んだ。こんなときに男の子のちからを使うのはずるい。わたしがムッとしたら、宝くんもがんばってムッとした顔をした。
「本気で怒る前にやめて」
「じゃあやめない」
 宝くんが激昂するなどありえないことだ。自分でも分かっているのか、彼は引かないわたしを見ると眉を下げて困った顔をした。
「なら、泣く前にやめて」
「泣いてもいいよ」
「花代さん」
「なあに」
「すきだー」
 あまりに突然言い出すものだから、笑ってしまった。宝くんは感情のままに。わたしも感情のままに。
 それでも彼の「すき」はいつも真剣なので、わたしも遅れて真剣になる。ふりをする。真っ直ぐにわたしの目を見つめる彼の瞳の奥には、いつも泣きそうな顔をしたわたしがいる。
「花代さんは?」
「もちろんたまらなく好き。いつもきみを渇望している」
「なにそれ」
「ところで、わたしがアルファなら宝くんはオメガなんだよ」
「なんの話?」
「狼」
 オメガは一番下の狼。だけどみんなに愛されている。わたしの答えに、宝くんはだらしなく口元を緩めた。
「ああ、また何かの番組に影響されたんでしょ。単純だなあ」
 宝くんは笑うととてもやさしい顔になる。神さまか仏さまみたいだ。どっちも見たことないけど。
「おもしろかったよ」
「再放送あるかな?」
「さっきのが再放送だった」
「あー」
 少し興味を持っただけの番組について本気で残念がる宝くん。つけっぱなしのテレビを数秒間見つめて、リモコンに手を伸ばす宝くん。ゆっくりと電源を切る宝くん。それから、わたしの顔を伺うようにちらりと見て、怒っていないのを確認するとふにゃりと笑った。
 結局その日中、彼はわたしの手を握ったまま離さなかった。離そうとするととても淋しげな目をするのでトイレにも行けずにいたら、そのうちに彼はこたつの中で眠ってしまった。手のひらから伝わる子どもの体温に、すきが溢れそうになる。土曜日の夕方。



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