ラピキとチッカ



「ラピキってどこかの国では錆って意味らしいよ」
 誰かがそう言ったその日からラピキはサビになった。ラピキの一番の友人でありとても綺麗な声を持つチッカは彼がサビと呼ばれることを嫌がったが、ラピキは錆をきらいではなかったので、むしろその呼ばれ方を気に入っていた。チッカに何度もそう説明したが、彼は納得しなかった。誰もがラピキをサビと呼ぶ中で、チッカだけがラピキをラピキと呼び続けた。

 年月が経ち小学校を卒業すると、ラピキとチッカは別々の中学へ入って別々の高校に入学した。そのままみんな大人になった。ラピキはいつまでもサビと呼ばれるままだった。
 ついに生まれてからラピキと呼ばれた数よりサビと呼ばれた数が上回った瞬間、彼は自分がラピキであることを忘れた。それでも生活には何の問題もなかった。周りの人間はみんな彼をサビだと信じて疑わなかった。

 その年の終わりにラピキとチッカは数年ぶりに顔を合わせた。しかしチッカがラピキを呼んでも彼は不思議そうにするだけで、いくら呼んでも駄目だった。ラピキは本当にサビになっていた。
 チッカはラピキの腕を握ったまま何度も彼の名前を繰り返した。夜になっても続けた。いつの間にか朝がきた。そうしてラピキがラピキという言葉にようやく反応したとき、チッカの綺麗な声はすっかり嗄れてしまっていた。
 ラピキがラピキに戻ったことにも気付かず、まだ本当の名前を繰り返すチッカの唇をラピキが指でふさいで、チッカはようやく呼ぶのをやめた。ラピキは何年かぶりにラピキと呼ばれて笑った。

 いくらがんばってもずっと一緒にいることはできなかったので、チッカは毎晩ラピキに電話をした。職業柄、毎日膨大な数の人間にサビと呼ばれるラピキに、チッカはそれを上回る数でラピキの名を繰り返す。おかげでラピキはずっとラピキでいられた。成長したラピキはいつの間にか自分がラピキでありたいと心から思うようになっていた。
 綺麗な声をいかして歌手になっていたチッカはラピキのために歌手をやめた。嗄れた声はなかなか元には戻らなかった。
 ラピキはチッカのためにそれまでの二倍も働いた。六十億の人間からのサビよりも、ただひとりから呼ばれるラピキを手に入れるためなら、苦しくもなんともなかった。

 チッカは名前を呼び続け、ラピキは働き続ける。死ぬまで続ける。



-エムブロ-