NO SMOKING



 彼はいつも足りないだらけ。何かを探して呼吸を続ける土のなかの幼虫。煙草は吸わないって昨日指切りげんまんしたのに、もう約束を破るのね。
「ねえ冬子さん、爪切りどこやった?」
「知らない」
 目を覚ましたばかりでまだ眠かったので適当に答えたら、彼は「あれー、おかしいなあ、どこいったのかなあ」とぶつぶつ言いながら消えた爪切りを探して家の中を徘徊した。煙草をふかしてふかしてジーンズだけでうろうろする彼の後ろ姿が妙におかしく感じて、笑い出したら止まらなくなった。
「なに笑ってるんだよ」
 彼がムッとした顔で問いかけてきたのでわたしも顔を引き締める。
「約束をやぶるバカめ」
「?」
 一瞬怪訝そうな顔をしたあと、彼は自分の手の中の煙草にその時気付いたような顔で「あ」と呟いた。
「ごめん、違う、寝ぼけてた」
 すぐさま煙草の火を消そうと焦った彼は自分の手のひらに煙草の火を押しつけて、アチッと飛び上がった。間抜けすぎて笑えなかったので睨み付けてやったら彼はもう一度「ごめん」と謝ってうなだれた。本当に申し訳なさそうにする彼が少しかわいそうになったので、近づいて背伸びをして頭を撫でてやる。
「オカピみたいでかわいいね」
 わたしの言葉に彼は不思議そうな顔をしたけど、笑いかけたらつられたようににっこりと笑った。
「ありがとう冬子さん、大好き」
「子どもめ」
 抱きしめてきた彼を抱きしめ返すとそのまま小さな子どもを抱っこするように持ち上げられた。今に見ていろ、五十年後にはこうはいかないぞ。わたしは太って彼は痩せおとろえてきっとふたりともボロボロになっているのだ。
「オカピって動物?」
「うん」
「どんなの?」
「キリンとシマウマのみっくすじゅーす。舌が青い」
「ふうん」
 質問しておきながら彼はどうでもよさそうに、わたしを抱えたままさっきまで眠っていたベッドに潜り込んだ。ふかふかで重い毛布の中で、「さむいさむい」と体を寄せてくる。
「爪切りは?」
「また今度でいいや。よく考えたら今日は土曜日だしね」
 彼の理由は意味が分からなかったが、それもよくあることなのでもうどうでもいいやと思った。わたしたちの間には分からないこととどうでもいいことばかりだね。彼はくっついてもくっついてもまだ足りないと言うように体を寄せてくる。約束を破るバカで子どもで淋しがり屋のかわいいオカピめ。今はまだ若くて元気なきみに、わたしは今できるだけの精一杯の愛をくれてやる。



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