かわいそうな弟 2



 ぼくはただ漠然と、幸せになりたかった。何が幸せかなんて思いつきもしないけど、悲しい思いはひとつもしたくなかった。なぜそれだけがこんなにも難しいのか分からない。
 ぼくのたったひとりの姉は、朝日が夕日みたいできれいだったから、と言ってときどきメールで写真を送ってきてくれる。そのたびにぼくは感動している。一緒に住んでいるのにわざわざメールをよこすのは、ぼくがずっと部屋にいて会うことがないからだ。
 姉が送ってくれる空の写真はいつも本当にきれいだと思う、けれどカーテンを開ける気にはなれない。窓の外には姉が送ってきてくれた空と同じ景色が広がっているはずなのに、直接見るそれはまったく違うものみたいにぼくの目には映る。そしてそれはとても恐ろしく、ぼくは手が震え、心臓もどきどきして、立っていられなくなる。だから外は嫌いだ。

 姉には理由を言わなかったが、ぼくがどうしても浜茄子を見たくなったのは、浜茄子の歌を聴いたからだ。どこか小さな島の唄で、名前も知らない歌手が歌っていた。優しく力強い声だった。
 調べたところによると浜茄子の花は甘い匂いがするらしい。ぼくはどうしてもその匂いを直接嗅いでみたかった。幸いにも海に囲まれた島に住んでいる。海岸に咲くことの多い浜茄子を見に行くのは難しくないはずだ。姉から送られてきた写真に、図鑑で見た浜茄子と似たような花が写っていたこともある。浜辺に咲く浜茄子をこの目で見て、触って、匂いを知りたい。そう思った。久しぶりに部屋を出てきたぼくを見て姉は目を丸くしていたが、浜茄子が見たいとだけ言うと、なにも聞かずに出かける準備をしてくれた。家を出る直前で姉は、やっぱり夜にする?とだけ訪ねた。ぼくは首を横に振った。今すぐにでも浜茄子を見たかった。ぼくの無謀な我が儘を姉は黙って受け入れた。その結果、今、汗だくになりながら歩いている。
 久しぶりに出た外の日差しはあまりにも暴力的だった。数秒その場にいただけで頭がおかしくなりそうだった。本当なら今すぐ引き返して家に帰りたかった。分厚いカーテンを閉めた暗い部屋に戻って布団をかぶりたかった。浜茄子なんてどうでもいい。そんなものいつでも見れる。せめて姉の言うとおり夜にすればよかったんだ。そう思いながらも、姉に「帰る?」と訊かれるたび、ぼくは朦朧としながら、なぜかただただ首を横に振るのだった。

 ぼくは今日、浜茄子を見る。昼間の、この恐ろしい日差しの下に咲く浜茄子を。そうすれば、何かが変わる気がしていた。何がどう変わるのかは分からないし、ひとつの根拠もない、けれどぼくはどうしても今日のうちに、浜茄子を見なければいけない、そんな気がした。
 伸びた前髪が汗で張り付いて鬱陶しい。まぶしい。もうほとんど何も見えていない状態で、姉の足音だけを頼りにぼくは歩く。一歩ずつ、ゆっくりと、進む。


 



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