彼の手は



 育巳さんの手が大きいのはわたしのためじゃない。紅茶をいれてくれるのも、頭を撫でてくれるのも、手をつないでくれるのも。彼の手は、手紙を届けるためにある。
 手紙を届けるのが仕事の育巳さんは、けれど手紙を書くのが得意ではないと言う。それでもわたしが手紙を書くと、そのたびキチンと返事をくれる。
「ふつうは逆だよね」
「何が?」
「わたしたちの名前。イクミとユキオなんてさ」
 そうかなあ、なんて言ってふにゃりと笑う育巳さんは全然頼りなくて、仕事で手紙を運んでいるときとは違って、そのことがわたしはたまらなく嬉しい。
「おれは雪緒って呼ぶの好きだよ」
 うん。わたしも育巳さんがわたしを呼ぶときの、やわらかな音が好き。下手くそな文字で綴られるそれも好き。そうしてあとから、照れくさそうにする顔も。それだけでわたしは、わたしの嫌いだった部分まで好きになってしまう。
 わたしのためじゃない手で、育巳さんはわたしの頭を撫でる。それがどれだけわたしを幸せにして、切なくさせているかも知らずに。知ろうともせずに。全然見えてないくせに。
「見て」
 育巳さんが空を指差す。その先ではひこうき雲が空をさいている。
「きれいだね、雪緒」
「そうだね」
 うわの空のわたしの返事に、彼は気付かず満足げな顔をする。ひこうき雲を見るふりをして、何も考えていないみたいな育巳さんを盗み見ながら、悲しくて悔しくてたまらないのになぜか、わたしは彼のことが好きなのだと実感する。溢れる気持ちを抑えるように、唇をつよく噛みしめた。
 いつの間にか自分からは触れられなくなってしまった、あたたかくて大きな彼の手に、わたしは夢中なのかもしれない。ひこうき雲を気に入った育巳さんが、こちらを見ないのをいいことに、わたしはいつまでも彼ばかりを見ている。ひとりで胸をあつくする。



110812



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