CLOWN



 ヨシエさま

 この手紙は、書き終えたら燃やすつもりです。伝えたいことは山ほどありますが、渡すすべがないので。
 あなたとは一度だけお会いしたことがあるのですが、覚えているでしょうか。満幸くんの友人で、鳩西正巳といいます。学校のほとんどの人たちは、彼のことをバンと呼んでいました。僕もそうです。番という名字は少し変わっていて、呼びやすかったのです。本当は満幸くんと書くべきでしょうが、この先、呼び慣れた名前で綴ることをお許しください。
 バンとは高校で知り合いました。彼は不思議な男でした。いくらやめろと言っても、僕のことをハトくんと呼びました。自分で言うのも何ですが、僕は地味でつまらない男です。積極的に友達を作る気にもなれず、目立たぬよう静かにしていました。反対に、バンは人気者でした。気が付けばいつも輪の中心にいて、クラスメイトだけでなく、後輩や教師からも好かれていました。そんなバンがなぜ特別に僕をかまうのか、僕には分かりませんでした。

 バンは、きれいな顔をしています。他にも僕にはとうてい真似できないものばかりをたくさん持っています。でもそれらは大切にというより、指の先でつまんでいるようなかんじでした。誰よりも立派な見た目を持ったバンが、誰よりもそれをくだらないものだと思っていました。彼のそういうところが好きでした。
 一度、彼と二人でサーカスを見に行ったことがあります。提案したのはバンです。待ち合わせた公園に、彼は真っ黒な服を着て現れました。彼の細長いシルエットが、夜になりかけた夕闇の中に溶けていて、一瞬ゾっとしたものです。
 バンはサーカス、ことさらピエロに強い関心を持っていました。その日もサーカスでピエロを見るのを、どんなに楽しみにしていたかと思います。僕は半ば無理やり連れて行かれたようなものでしたが、見てみればサーカスは楽しいものでした。空中ブランコに綱渡り、芸を仕込まれた数々の動物たちや笑われ者のピエロを、あなたも見たことがあるはずです。過去にバンと一緒に。
 演目の最中、僕はふと、隣に座るバンを見ました。どれだけ喜んでいるかと思ったのに、バンは、ぼんやりとしていました。あとから聞けば、あれはピエロではなかったとバンは言いました。涙が描かれていなかったから違う、と。涙なんてどうでもいいじゃないかと僕は思ったのですが、バンにとってそれは重要なことでした。
 本来、笑わせる役目をする者の呼称はクラウンです。笑われ、それでも愛されたいと願う悲しみの涙を描いたのが、ピエロなのだそうです。
 今思えば、サーカスなど興味もなかった僕が、嫌々ながらもついていったのは、単純にバンの喜ぶ顔が見たかったからです。それなのにバンは何やら落ち込んで、不機嫌なようにすら見えました。ピエロに対する、バンの異常なほどの執着に気が付いたのはこの頃でした。
 バンはいつも明るく笑っていて、だから人気があったのです。ピエロについてのことも、初めは冗談だと思っていました。けれどそれは間違いで、彼は本気で愛を求めていました。たくさんのクラスメイトや後輩や教師ではなく、ましてや僕でもなく、バンはあなたに好かれたかったのです。誰がどんなにバンを好こうが、親友になろうが恋人になろうが、あなたには適いません。あなた以外の誰にも彼の穴は埋められず、そしてその穴が、ついには彼を飲み込んだのです。
 僕が見つけたとき、バンは自らにピエロの化粧を施して死んでいました。目元に描かれた涙は、あなたに向けての最後のメッセージでした。気味悪がって、遺体も確認しなかったあなたは知らないでしょう。だから手紙を書いたのです。
 彼の身体に這う、蛇のような痣を知っていますか。あなたが付けた傷の数を数えたことがありますか。彼がそれを眺めるときの、幸せで悲しい顔を見たことがありますか?

 バンは、あなたの暴力に殺されたのではありません。けれど、彼の心に最初の穴を開けたのはあなたです。あなたの無関心がバンを殺したのです。
 幸せに満ちるなんて名前を付けておきながら、彼を見殺しにしたあなたが、僕は憎い。バンが愛した人を、その一生をかけて愛されたいと願ったあなたを、僕も好きになりたかった。誰かを殺したいと思うほどの、こんなに醜い感情は知らずに生きていたかった。
 いまや僕は、あなたが憎いのと同じくらいに、バンのことも憎んでいます。広がり続けたバンの穴は、彼の亡き今も消えることはなく、大きく開いたその口で、僕までも飲み込もうとしています。あなたもそれを見たのでしょう。だから、バンを追ったのでしょう。今さら両手を広げて、彼を抱きしめるのでしょう。そして彼は、どんなあなたも喜んで受け入れるでしょう。あなたが母親であるというだけで。

 彼の友人より



110530



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