ふたりの日曜日



 絹の日曜日は、小都里のワンピースのチャックを上げることから始まる。小都里はもう自分でチャックを上げられるようになっているのだが、それは秘密にしていた。そして絹はそのことに気付いているが、やはり秘密にしていた。小都里は時々、背中に触れる絹の指先の、あまりの冷たさに驚くことがある。
 お互いにどんな約束をいくつ破っても、言えない秘密があっても、今まで大丈夫だったのは、この日曜日があるからだ。一週間のうちに一日だけ、必ずお互いの家で交互に過ごす日曜日。いつの間にか、それが二人の関係を持続するためのルールのようになっている。そして絹は、この日曜日の始まりから終わりまでがとても気に入っていた。

 絹は小都里の、少し高い間延びした声が好きで、その声で名前を呼ばれるのは特にいい。けれどひとつ気に入らないのは、小都里が飼っているカメに絹の名前を付けていて、そのカメを呼ぶときも同じ調子で呼ぶことだ。
「絹ちゃん、おいしい?」
 にぼしを片手に水槽を覗き込みながら、小都里は言う。人間の絹はぴくりとも反応せず、カメの絹は大きな口でにぼしの頭を噛み砕いた。振り向いた小都里は、絹と目が合うとふにゃりと笑う。
「このワンピースどうかな」
「似合うよ」
「嬉しい」
 香水も何もつけていないのに小都里はいい匂いがする。たとえ絹がこれから小都里に関するどんなに沢山のことを忘れようと、この匂いだけは一生忘れない。死ぬまで好きでいる。そう思いたい。
「絹ちゃんのことが好き」
 踵を返し、カメに向かって小都里は言う。
 こういうとき、絹はいつも、漠然とした不安の海に突き落とされたような気持ちになる。重い水が絹にまとわりつく。絹は泳げず、すぐに足をとられてしまう。手や首を伸ばして、必死で酸素を喰らって、生き長らえようともがく絹の姿を、小都里は岸で見ている。手を差し伸べることもできる距離で、無表情を決め込み、ぴくりとも動かずにいる。そのまま沈めというように。
「愛じゃないけど、死ぬほど好き」
 現実の小都里が言う。とどめのような言葉だ。彼女の見えない表情が、もどかしくてたまらない。頼りのない小さな背中を、今すぐ抱きしめて、もう二度と離したくなかった。受け入れたかった。全てをゆるしたかった。
 絹は口を開かない。開いたところで何も言えない。唇を噛みしめ、冷たい指先で小都里のワンピースのチャックを下ろして、彼女の日曜日は終わる。小都里の日曜日はいつだろうか、自分と同じなのだろうかと、そのたび何百回と思っても、やはり口には出さない。日曜日が終わると孤独だ。退屈な月曜日しか知らないまま、絹は生きるつもりでいる。それでいいと思っている。
 大丈夫。自分に言い聞かせるように、絹は繰り返す。大丈夫、日曜日がこない週なんてない。絶対にくる。必ずくる。


 次の日曜日、小都里は絹の家にこなかった。彼女からは何のことわりもなかった。そもそも彼女からことわりを入れられたことなどあまりないが、絹にとって、日曜日だけは絶対的なものだった。それはもちろん小都里にとっても、そうなのだと思っていた。
 唐突に日曜日を見失い、絹は途方に暮れた。小都里に会わない日曜日など日曜日ではなかった。なのにその次も、次の次も、そのまた次もだ。小都里のワンピースを見もしないまま、絹は偽物の日曜日をいくつも過ごした。
 あのこの背中の丸いチャック、あれに自分以外の誰かが触れているかと思うと、それだけで吐き気がした。気持ち悪さは怒りになって、呆れになって、淋しさになって、さいごには愛しさに戻っても、小都里はどこにもいなかった。



111003



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