死骸愛好者



 僕の彼女はとてもかわいい。ふわふわの長い髪に、リスみたいに真ん丸な目。運動は出来ないけれど頭も良い。そして死骸が大好き。
 彼女は死骸を見つけたら、それが何であっても、どこであっても必ず写真を撮る。授業中だろうがデート中だろうが、新しい死骸を見つけた彼女は、その瞬間に周りの世界を忘れてしまう。だから彼女が僕の父の葬式にきた時、突然いつものデジタルカメラを取り出して遺体の写真を撮ったのは、ごく自然な出来事だったのかもしれない。けれど僕の母はそんな彼女に激昂し僕たちを葬儀場から追い出した。
「だから言ったのよ、頭の良すぎる子は変人が多いから嫌だって!」
 それは大変な偏見であるが僕の彼女の場合についてだけは、実際に少し変なので、何も言い返せなかった。帰り道をとぼとぼと歩く彼女の後ろを歩きながら、僕は彼女が泣いているように見えた。そして彼女は実際泣いていた。写真が上手く撮れなかったことがよほどショックだったらしい。

 小学生のころから続いているという彼女のコレクションは、今や分厚いアルバム十冊程度では収まりきらないほどにまでなって、きれいな部屋の一隅を占領している。以前、一度だけ中をめくって見せてもらったことがあるけれど、地面に顔を突っ込んで死んでいる鳥の写真が目に入った瞬間に「もういいよ」と言ってやめた。
 積み上げられたアルバムを改めて眺めながら、彼女が今までにこれだけの量の死骸を見てきたのかと思うとゾッとした。彼女は異常だ。それとも僕の記憶にないだけで、誰もが同じくらいの死骸を見てきているんだろうか。静かに呼吸を止めた何かを、僕たちは忘れているだけなんだろうか。

 どうしてそんなに写真を撮るのかときいたら、彼女は困ったように笑った。
「だって忘れたくないもの」
 彼女は命を忘れることが怖いそうだ。
「あとは優越感かな。誰にも知られずに死んでいったかもしれない誰かを、わたしだけは知っているという」
 僕は「ふうん」と気のない返事を返したけれど、その時には彼女が整理中の一枚の写真を見て吐きそうになっていた。僕は死骸愛好者である彼女の恋人という立場にいながら、実のところ何よりも死骸が苦手だ。それでも僕は彼女が好きだった。死骸を語る彼女の、ランランとした眼が好きだった。何よりも。
 死骸の記憶がぎゅうぎゅうに詰まったアルバムをぼんやりと眺めながら、僕は考える。いずれあのアルバムの一ページに、僕もしっとりと収められる日が来るのだろうか。
「ねえ、僕が死んだら、一番きれいに撮ってね」
 笑って承諾してくれるかと思って言ったら、彼女はリスの眼をライオンみたいに鋭くして怒った。貧弱な力で僕をぼかすかと殴りつけながら、髪を振り乱して怒った。顔にまとわりついてクルクルになった髪の毛は、本当のライオンみたいだった。
「今はこの世で一番きみが好きだけど、死んだらみんな一緒。死骸は死骸なの。だから丁寧も雑もないの。全部大事なの。あとわたしより先に死ぬなんて、そんな、あり得ない、いやあり得るけど、駄目だ、嫌だ、…やだよ」
 彼女が怒った理由がどれだったのかは結局よく分からなかったけれど、車に轢かれたネズミの写真を片手に握りしめて、彼女は僕の目の前で泣いていた。いつも死骸死骸ばかりで二の次にされている僕はもしかしたら彼女から愛されていないのではと思っていたけど、それはどうやら違うようだ。彼女は彼女なりに僕を愛してくれているのだなあと知ったら何故だか僕まで喉の奥が熱くなった。
「いやだ、いやだ、いやだよぅ…」 
 いつまでもぐずる彼女を、二時間もかけてなんとかなだめて、家に帰ったら彼女からメールが一通届いていた。『この世の全ての死骸を愛していたいのに、きみの死骸だけはどうにも好きになれそうにない。だからわたしより先に死ぬのは許さない』。
 なんて彼女らしい文章なのだろうか。僕は紅茶を一杯いれて、ひとりで飲みながら、もう一度そのメールを読んだ。一度と言わず何度も読んだ。そうして十数回目に読み返した時、とても彼女を抱きしめたい気分になったのだけれど、僕の目の前には冷めた紅茶と彼女がくれた一枚の写真しかなく、僕は仕方なくそれらを抱きしめてみた。少しぶれた僕の父の写真は、ただ薄っぺらくて冷たいだけだった。けれどどこか奥深いところで、彼女の体温をはらんでいるような気もした。きっとたくさんの死骸に触れてきた本物の彼女の手も、こんなふうに、ゾッとするほど冷たい温度をしているのだろうなと思った。



081201



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