キッチンの窓



 キッチンでコップ一杯の水を飲む。砂ぼこりで濁った窓から外をのぞくと、青い空とクレーン車のさきっぽが見えた。何かぶらさがっている。
「ただいま」
「おかえり」
 玄関の開く音でなんとなく気付いてはいたので、静かにキッチンに入ってきた彼にも驚くことなく対応できた。額の汗を手首の内側でぬぐいながら(癖だ)、彼はわたしの目をじっと見る。
「のどが渇いた。ものすごく」
 そうかいと答えて手に持っていたコップを差し出せば、彼は受け取って水道の水をそそぎ一気に飲み干した。二杯目はゆっくりと嚥下。ごくごくと鳴っているのどに触れたくなったのでそうしたら彼はむせて何度も苦しそうに咳をした。
「今日はどこに行ってたの?」
 まだ苦しげにしている彼に問いかける。コップを洗いながら彼は「水族館」と言う。
「どうだった?」
「犬を飼いたくなった」
 それは最近の彼の口癖だったので無視した。
「この頃あの辺はずっと工事中だよね」
「あの辺?」
「クレーン車のあたり」
「ああ」
「あの荷物何キロくらいかな」
「十キロくらいじゃない?」
「けっこう軽いね。がっかりした」
 丁寧に丁寧にコップを洗い終わった彼はわたしの目をじっと見る。
「外は暑かったよ」
「だからわたしは家の中にいるんだ」
「きれいだったよ、魚」
「ふうん」
 やる気のない返事をして、洗われたばかりのコップを手に取り、水道の水をそそぐ。口をつける寸前にちらりと見た彼の顔があまりにもおかしかったので、口をつけないように飲んだ。嬉しそうにへらりと笑った彼の頭上に、今あのクレーン車がぶらさげている荷物が落ちてくるのを想像したら、悲しくなって泣いてしまった。彼はわたしに「今度はいっしょに魚見に行こうね」と言って、頭をなでてなぐさめた。魚なんてちっとも興味はなかったけれど、わたしはすぐに泣き止んだ。
 砂ぼこりで濁った窓から、クレーン車が見えないように、薄っぺらいカーテンを閉める。青い空も見えなくなった。ちょっとだけ悲しい。



 100608



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