いつか晴れた日の麦畑



 麦は途方に暮れていた。たった今、信じられないことを言った古性の、白い首もとをじっと見る。ちらりと視線を上げると、驚いたように古性が目をそらすので、麦もあわてて俯いた。
 古性の手には、数日前に麦の貸したぶ厚い本が握られている。長いゆびだ、と麦は思う。体温が少し上がった気がした。
 麦は彼の、病的な白さと細さが好きだった。他の男の子とは違って、物静かで大人しい挙動も好きだった。
 男性を苦手とする麦が、唯一古性とは話すことが出来たのは、彼がまるで男のようではないからだ。そして彼には、同性愛者だという噂があり、同時に、嘘をつかないという噂があった。ぐるぐると必死に思考する麦を、古性はいつものすまし顔で見下ろしている。
「麦さん」
 名前を呼ばれたが、麦は答えることができず、居心地の悪さに身じろいだ。麦が古性を見なくても、彼は気にせずに続けた。
「答えをもらえないかな」
「……」
 静かな声。好きな声だ。麦は黙り込んでしまう。
 ほんの数分前、古性は麦を好きだと言った。そんな可能性は考えたこともなかった。本を返そうとする古性の方へ、手を伸ばすのを、麦はためらってしまった。
「ふるしょうくんは」
「え?」
「おとこのひとが好きなのかと」
「…おれ、男だよ」
「うん」
「麦さん。だからおれと話してくれたの」
「……」
「ショックだな」
「ごめんね」
 古性は「別に」と肩をすくめた。まったくショックを受けているようには見えない。麦の眉間にしわが寄る。
「ふるしょうくん」
「はい」
「わたしの何を好きになったの?」
 麦の問いに、古性は目線を上にやり、左手で下唇に触れた。考えるときの彼の癖だ。
「何を、というか麦さんの容姿、人格、ふるまいなんかを総合的に見て、好きだなあと思ったんだけど。あえてきっかけを言うなら、そうだな」
 古性はあくまで冷静に、無表情に話を続けた。
「いつか、夢の話をたくさんした日があったよね」
「うん」
「そのうちの一つで、麦さんが見たっていう夢に強く惹かれたんだ」
「何の夢?」
「麦さんが、いつか晴れた日の麦畑で泳ぎたいなあ、ってずっと祈ってたっていう夢」
 少し楽しそうなトーンで言う古性に、麦は「なんで」と首をかしげた。じっと見つめられて、なんとなく目線をそらす。古性は言った。
「麦畑に憧れる麦なんて、かわいいじゃない」
 からかうような口調に、思わずムッとして古性を睨んだ麦は、けれど次の瞬間、ぽかんと開口した。今まで一つも表情を変えなかった古性が、麦の方を見て笑っていた。顔をくしゃくしゃにして、幸せそうに麦を見ている。ずるい、と麦は思った。
「だからおれは、麦さんが好きになりました」
 伸びてくる古性の手。逃げない麦の髪の毛に、古性の指がやさしく触れる。もう片方の手には、数日前に麦の貸したぶ厚い本。麦には大きすぎて、両手でないと持てない本。長いゆびだ、と麦は。



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