Efiie (U)
嫌いになってやる。ユキオが僕にそう言って、僕は泣いてわめいて彼にすがる。そんな夢を見た。
朝起きたら、となりで眠ったはずのユキオがいなかった。いつも寝ているこの部屋には暖房器具なんてないから、まだ一月の室温はひんやりとしている。体を起こして、布団にくるまった。昨日の夜に僕が散らかした本は、元通りの場所に収められていた。
この部屋には窓がないけど、トイレとつながっているから、僕はここを出なくても生きていける。食事さえあれば。ぼうっと部屋の出入り口を見ていたら、扉がゆっくりと開いた。おぼんに朝食をのせたユキオが入ってくる。見慣れた光景だ。「おはよう」と彼が言ったので、僕も頷いた。
「僕はユキオに生かされているよね」
ユキオが用意してくれたパンを頬張りながら言ったら、ユキオは怪訝な顔をした。
「なんで」
「ごはん、作ってくれるでしょ」
「俺はエフィを生かしてるつもりなんかないよ」
「そう?」
「生かされてる人間なんかいないよ。みんな自分で生きてんだ」
いまいち納得できなくて、そうかなあともう一度言ったけど、ユキオは無視した。
「俺がいなくたって、あんたは生きていける」
ユキオは言い切る。僕はそんな気がしない。
今日はよく陽が照っていて、風もないから外へ行こう。週に一度はユキオが言う台詞だ。今週は今日だった。あんまり外へは出たくないんだけど、僕の腕を引くユキオの力は強くて、絶対に逃がさないぞって意志が伝わってくるから、抵抗はしない。いざ外へ出てみると、室内よりあたたかかった。
庭の芝生にすわり込んで、隙間にはえたシロツメクサの中に四つ葉を探す。時折顔をあげると、門の近くでユキオが庭木の剪定をしているのが見えた。彼は少し几帳面すぎる。
シロツメクサは、たくさん踏まれたほうが四つ葉が生えやすいらしい。めったに人の歩かない僕の庭では、四つ葉はなかなか見つからない。
ユキオもこっちにきて一緒に探そう、そう言おうと顔を上げたら、門を挟んで、知らない子どもたちとユキオがなにやら話しているのが見えた。あまりはっきり聞こえなくて、話の内容までは分からない。ただ、走り去っていく子どもたちにユキオが叫んだ声だけはやけにはっきりと聞こえた。
「しんじまえ!」
ユキオに近づき、後ろ姿をじっと見る。彼が右手に握りしめた剪定ばさみがギシリと悲鳴を上げた。
「あんなやつら、しねばいい」
僕が近づいたことには気付いているはずなのに、ユキオは背中を向けたままひとり言のように言った。まだ怒りがおさまらないというふうに、声が震えている。
「そういう言葉はあんまり、使ってほしくないなあ」
僕は日本語が好きだ。きれいな言葉が多いから。
「悔しくて死にそうなときもかよ?」
ふいにユキオが振り向いて、僕は言葉につまった。彼は射抜くような目をしていた。
「悔しいよ、俺、なんでだろう」
うってかわって破顔し、泣きそうな顔を見せたユキオに、なぜだか愛しさがあふれる。
「あんたのこと知りもしないくせに、知ってるみたいに噂するやつら全員むかつく。それを鵜呑みにするガキ共もむかつくし、こうやっていちいち感情が抑えられない自分に一番腹が立つ」
ユキオが僕の目を見た。こんどはやわらかな視線だった。そのことに安心する。いつかユキオが、僕の緑の目がきれいで似合っていると言ってくれたことを思い出して、嬉しくなる。今も僕の目は緑だ。
「俺ずっとここにいたい」
「それは無理だよ」
「分かってる…ごめん」
ユキオはうつむいた。剪定ばさみが、ぼとりと彼の手から滑り落ちた。
「ごめん」
もう一度そうつぶやいた彼を、僕が持てる全ての力で抱きしめてやりたい衝動にかられたので、その通りにした。あんまり勢いよく飛びついたせいで、ふいをつかれたユキオはそのまま尻餅をついた。唖然とするユキオの腹に乗り、彼の耳を両手で強くふさぐ。息を深く吸い込んだ。
「ユキオ」
ずっとため込んでいた言葉を声に出すつもりでそうしたのに、やっぱり僕には言うことができなかった。
「ユキオ」
他に何を言ったらいいのか思いつかなくて、僕はばかみたいに彼の名を繰り返し呼んだ。彼の両耳をふさいだままで。とつぜん、なんだか体中の力が抜けた。彼の耳を押さえていた手がだらりと地面に垂れる。
今日見たあの夢を僕の感情は、とても怖いものとして捉えているみたいなんだ。だからおかしいのかもしれない。夢だって分かってるのに、不安でたまらないんだよ。
今さら気付いたんだ。僕にはユキオしかいないんだ。本当はユキオが死んだときにひとりぼっちになるはずだった僕を、ユキオが救ってくれたんだ。やっぱり僕はユキオに生かされてるって、そう思うよ。
「僕はユキオが大事だよ」
僕の言葉に、ユキオは不満げに唇をとがらせた。だけどさっきまでの怒りはどこかへ行ってしまったみたいで安心する。そういうふうにすねてるときのユキオの方が好きだな。安心してユキオの髪の毛に触れたら、その手をやんわりとはらわれた。
「エフィは俺のこと犬みたいって思ってるのかもしれないけどな、俺からしたらエフィの方が、よっぽど手のかかる犬なんだからな」
そう言って、ユキオは立ち上がった。ユキオの上に乗っていた僕は、あっけなく転がる。そのまま後ろに倒れたら、芝生が首筋をなでる感覚がくすぐったかったので笑い声を上げた。呆れたような顔をしたユキオが、僕に手を差し伸べる。
ユキオの背景を覆う空は高く澄んでいて、これならどこまで続いていてもおかしくないと思った。ああ、僕が憧れていたのってこういうことなのかもしれない。
「きっと幸せになれるよ」
不思議そうな顔をしたユキオの手を強くにぎる。幸せに生きると書いてユキオと読ませるなんて、とても素敵な名前じゃないか。やっぱり僕は日本語が好きだな。彼の名前を呼ぶたび、僕は幸せな気持ちになれるんだ。
100301
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園田Effie(ソノダ エフィ)
27歳
旭 幸生(アサヒ ユキオ)
16歳(高1)
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