足りない



 テレビを見入る彼女のとなりでみかんの皮を剥きながら、僕は下らない話をつづける。内容のないひとり言は、彼女が怒って「あとにして」と口をとがらせるまで続いて、ぼくはそのときの彼女の表情が好きで、わざと彼女を怒らせる。
 不機嫌そうにテレビの音量を上げる彼女を見ながら、僕は「ごめんね」と言うべきか「大好きだよ」と言うべきか迷った。けっきょく何も言わないまま、きれいに剥けたみかんの中身を彼女に手渡すと、彼女の表情はいくらか和らいだ気がした。偶然をよそおって触れた彼女の手はちいさくて冷たくて、僕はごめんねも大好きも何度言っても足りない気がした。



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-エムブロ-