ミヨリと虫



 もしも僕が虫になってしまったら?そう言って顔をのぞきこんでくる三頼に、人間の男同士よりはましかもなと笑った。
 次の日、三頼がいなくなった。俺は慌てたけれど、彼は案外すぐに見つかった。三頼は、一匹のクモになっていた。俺ははじめ、それが三頼だなんて分からなかったし、分かりたくもなかった。よりによって、俺のいちばん苦手なクモになるなんて。それもかなり大きい。
「どうなってんの」
「大江が、この方がいいって」
 俺の目の前にいるのは灰色のクモだが、声は確かに三頼のものだ。毎晩ホットミルクを飲んでいる三頼の声はどことなくあまい。朝は三頼の声で起き、夜は三頼の声で眠る、それが俺の幸せだった。だけど今はうっとりしている場合じゃない。
「そんなこと言ってない」
「言ったよ。この方がましだって」
「冗談に決まってるだろう」
「今さら、そんなこと言われても」
 クモが両手をあげるような仕草をする。俺はその毛むくじゃらの手から目をそらしたくなるのを必死でこらえて、昨日まで三頼だったクモを見つめた。
「それ以上、近づくなよ」
「ひどいな」
 次の瞬間、クモがぴょんと飛躍して、心臓が止まりそうになる。
「おれはクモが苦手なんだ!」
「人間の方がいい?」
「うん」
「男でも?」
「もちろん」
 俺は壊れたみたいに何度もうなずく。このままの生活なんて考えられない。
「じゃあいいや」
 声と同時にクモが吹き飛んで、俺は思わず「三頼!」と叫び駆け寄った。ギリギリまで近付き、動かなくなった三頼を見て言葉を失っている俺の後頭部を、誰かが叩く。
「おい」
 振り向くと、人間の姿の三頼がそこにいた。
「そのクモは人形だよ」
「は?」
「普通、気付くだろ」
 そういえば寝起きで眼鏡をしていなかったことを思い出し、いそいで眼鏡をかけてクモを見てみると、それは確かにビニールで出来た人形だった。
「本当にクモになったかと」
「ばかじゃないか」
 そう言うと三頼は、俺の大好きなあまい声で笑った。
「冗談に決まってるだろう」



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