ロマンチック・ラヴ



 綺麗になりたいなあ。ファミレスのテーブルに片肘をついて、雨に濡れた窓を眺めながら呟いたイサオはすでに十分なほど美しい顔のつくりをしていた。
「綺麗になって、アイルランド人と付き合いたい」
「は?」
 わたしの怪訝な顔を見ると、イサオは嬉しそうにテーブルに身を乗り出した。そんなふうに顔をくずして笑うと片方だけ笑窪ができるのが、彼の昔からの特徴だ。
「最高にロマンチックなラヴレターを出すんだ。書き出しはもう考えてある。あなたの瞳の中には、百人の妖精が棲んでいる…」
「ばからし」
「うるさいな。もう決めたんだよ。あとはかっこいい締めくくりさえ思いついたら、内容は何でもいい。天気の話でもいいし、自分の好きな動物を箇条書きにしたっていい。ラヴレターの中身なんてあってないようなもんだから」
 世の中、肝心なのは始まりと終わり。それがイサオの言い分だった。
「ヨシノはさあ、涙が出るほど感動したことがあるか?」
「さあ」
「俺、この間初めて、意思に反して泣いたんだ。妹の結婚式だった」
「え、ミナちゃん結婚したの」
「したよ」
「相手は?アイルランド人?」
「いや、」
 イサオは少し不機嫌な声で答えた。
「相手は普通のサラリーマンで、妹は幸せそうに笑ってた。それを見て俺は思ったんだ。ああ、やっぱりアイルランド人はすばらしい。俺は結婚するなら、絶対にアイルランド人とにしよう、ってな」
「意味がわからない」
「わかるわけない」
 イサオはゆっくりと窓の外を見た。さきほどまでの雨が嘘みたいに晴れた空と、イサオの真剣な横顔はこれでもかというほどさまになっていて、なんならわたしと結婚したらいいのに、なんて言葉が口をつきそうになる。けれどわたしはアイルランド人でなければ未婚者でもなく、そして他人でもなかった。
「わかることばかりじゃないだろ」
 俺だって成長してるんだ、それについてきたいなら、さっさと離婚して家に戻ってくればいい。そう言って席を立ったイサオは、一度だけにらむようにわたしを見たあと、アイルランド人に送るラヴレターの締めくくりを考えながら出口に向かって歩いていった。
 イサオが見ていた空を見る。次の雨は当分降りそうにない。



ロマンチック【romantic】…空想的な、甘美な



091207



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