アルファ5



「宝くんは一割、それとも九割?」
 借りてきたDVDを真剣に見つめる宝くんの横顔を見ていたら、ふいに今朝テレビで見た番組を思い出したので問いかけた。彼と映画の趣味が合わないわたしは、のんびりと展開する洋画を観てもたいくつなのだ。宝くんは画面に夢中で心ここにあらずといった様子だが、一応「なにが」と訊いてきた。
「ヒナのために戦うウミネコのオスは、全体の約一割なんだって。あとの九割はおろおろ。宝くんはどっち?」
「さあ…おれウミネコじゃないから」
「そうだけど」
「花代さんはどっちなの」
「さあ、わたしはオスじゃないから」
 宝くんの真似をして答えたら、目の前でかたちのいい唇が尖った。
「おれをウミネコにするのはよくて、花代さんが男になるのはだめなの」
「いいの?」
 問いかけに問いかけを返す。宝くんがゆっくりとこちらを振り向いて、さっきまで彼を釘付けにしていた画面の中では、名前も知らない外国人がにっこりと微笑んでいる。
「宝くんはわたしが男でもいいの?」
 彼は数秒固まった。考え込むように眉をひそめてから、小さな声で「いいよ」と呟く。わたしはふうん、と言った。「わたしは女でよかったと思うよ。宝くんが男の子で、会えてよかったと思うよ」
「ウン」
「だから九割でいてほしい」
「……」
 宝くんは口を開きかけてつぐんだ。これ以上質問を重ねればわたしが不機嫌になると思ったのかもしれない。ぼけっとわたしの顔を見つめ続けている宝くんの手から静かにリモコンを奪い取り、一時停止のボタンを押した。宝くんは黙ってわたしの手元を見つめている。まつげが頬に影を落としているのを見て、彼のそれが一般の人より少しだけ長いことに気付いた。
 テレビの音が消えるととても静かで、アパートの外を車が通り過ぎる音がよく聞こえた。薄暗い部屋の中で向き合って、彼の緊張が急に増したのが分かる。
「さわっていい?」
 返事を聞く前に手を伸ばして、心臓を確かめるように左胸に触れた。彼に触れた手のひらからは、わたしと同じかそれ以上に早く脈打つ心臓の鼓動が伝わってきた。
「宝くん」
 うつむいている彼を呼んだら、ぎしりと音がしそうなほどぎこちない動作で首を上げた。助けを求めるようにわたしを見つめてくる宝くんが愛おしいと思う。この皮膚と骨肉の向こうで脈打っている心臓がもしも止まるようなことがあれば、わたしはどうなってしまうのだろう、と考えようとしてやめた。また彼を怒らせてしまう。
「ずっとさあ…」
 なんとなく、そうしたくなって、薄く開いた彼の唇に指先で触れた。何のケアもされていない唇の表面はかさかさだ。宝くんの頭の中からいつの間にか映画が吹き飛び、わたしだけを見ていることにじんわりと安堵する。何かを言いたげにわたしを見ている宝くんを見ていたら、ふいに泣きそうになった。言葉の続きが出なくなったわたしの頭を、宝くんがぎこちない手つきで撫でる。今日もまた、わたしはわたしのわがままで彼を振り回し、宝くんはおろおろしている。



090827



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