アーモンド



 くちのなかで飴玉みたいに転がしていたアーモンドを、血と一緒に吐き出した。痛みはないが、咥内を舌でさぐると奥歯も一本足りない。床に視線を落とせば、アーモンドと血に混じって、小さな白いものがあるのが見えた。
 悪いことをしたつもりはない。ただ、対等でありたいと言った結果がこれだ。きっと相手も同じだろう。自分が悪いなんて考えもしない。
「栄司はさあ、俺のことなんだと思ってんの」
 目の前に立っている男が言った。こっちのセリフだ、おれはじっと男を見上げた。ずれた眼鏡を片手で直しながら、反対の手で歯を拾おうとしゃがんだら、その手を踏まれた。ため息が出る。
「なんて言ってほしいわけ」
「は?」
 無条件に人の上に立ちたがる七尾と、平穏な関係を築くのはむずかしい。同じ高校に入学して数週間目から、幼なじみだからって理由で彼の世話役を頼まれたおれは、卒業間近の今まで従順に先生の言いつけを守ってきた。でももう何だかばからしくなった。七尾のために割いてきた時間のすべてが、意味のないものに思えた。
「その質問に、おれがなんて答えたら、七尾はよろこぶわけ?」
 七尾の表情が変わる。彼の握り込んだ拳がふるえるのが見えたけど、暴力は怖くなかった。もう一度、深くため息をつく。七尾の喉がごくりと鳴った。
「…じゃないって、」
「は?」
 こんどはおれが首を傾げる番だった。
「好きで一緒にいるって言え。俺のこときらいじゃないって、本音で、そしたらよろこぶ」
 七尾の顔を見る。ふざけている様子はない。怒りでふるえているのかと思った拳は、けれど別の感情を表しているらしい。わかりにくいんだよなあ。殴られた頬より、踏まれた右手がじんじんと痛む。ふと、七尾がいつもトイレでスリッパに履き替えず、上靴のまま行くのを思い出して、それに踏まれた右手が今もおれの身体の一部だと思うと吐き気がした。
「どうでもいいけど、おれ、お前がきらいなんだ」
 言った瞬間、七尾が動いた。あっという間に押し倒されて、うつぶせになったおれの上に、七尾が覆い被さっていた。おれはまだ自由な右手を必死に伸ばして、床に転がっていたアーモンドをつかみ取り、再び口に入れる。おれの潔癖を知っている七尾はひどく顔をしかめた。
「出せ」
 無理やりくちのなかに入ってきた七尾の指ごと、アーモンドを噛んで砕いた。七尾の手があわてて引っ込む。おれが毎日アーモンドを口に含んでいるのは、アーモンド・アレルギイである七尾を必要以上に近付けないためだ。
「そんなにか」
 ほとんど独白のようにつぶやく七尾の、おれに触れているすべての部分がふるえていた。声も。「そんなにかよ」
 そればかりをくり返す七尾の姿はまぬけを通り越して滑稽だったが、嫌悪感はなかった。ただ静かに耐えて、解放されるのを待つ。
「俺は好きだ」
「一緒にいるからだろ」
「たぶん、いなくても」
「わかるわけない」
 くちのなかに散らばったアーモンドの欠片が気持ち悪い。外に吐き出すことは出来ないが、嚥下するのもごめんだ。
 ずっと友達でいたいのだと、七尾は言った。おれは歯を返せと答えた。
「返さなかったら?」
「絶交」
「…させないぞ」
 七尾のふるえは止まらない。大きらいなアーモンドが効いているのかもしれない。プライドの高い淋しがり。口には出さなくてもその言動が、愛を叫んでくれと泣いている。
 歯についたアーモンドの欠片を舌でさぐり、残りの欠片を噛み砕く。おれも好きな味ではないが、これが七尾を苦しめているのだと思ったら甘く感じる気もした。いつかおれ自身が、彼のアレルギイ源になれたら。



091012



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