ぶくぶくあわあわ



 せまい部屋の中には溢れんばかりの水槽。
 透明なガラスにへばりついて、うっとりと空っぽの水中を見つめる彼女は、まるで深海魚のよう。
「ヨシノ」
 呼びかけると、ヨシノはゆっくりと目線を動かして、分厚いガラスごしにこちらを見つめた。海みたいな深い瞳だ。その両方が、僕の輪郭をとらえて揺れる。
「ぶくぶく、あわあわ」
 ヨシノのか細い声。錠剤を口に含んでいるせいで喋りづらそうだが、生きているのはこわいことだねとヨシノは言った。僕はゆっくりと目を閉じて、声を頼りに彼女を見つめる。
「ヨシノ」
「いるよ。だいじょうぶ。いるよ」
 ヨシノの声はまるで水の中から聞こえるみたいに儚い響きで、心臓のあたりがギュっとなった。だいじょうぶ、だいじょうぶ。彼女のことばを反芻する。何度も。
「わたし、トローチになりたいな」
 きっと今ヨシノがしているように、僕は水槽に額を押し当ててみた。ないはずの水の温度は思いの他あたたかく、もしかしたらこれが彼女の体温なのかもしれないと思った。
 けれどそれは違った。直後に触れたヨシノの温度はあまりにも低く、僕は肩を揺らした。
「トローチに穴があいているのは」
 僕の口内に移った錠剤。舌の上で持てあます。ヨシノは今どんな顔をしているのか。僕は?
「もしも咽に詰まっても、息ができるようになんだって」
「ああ」
「だからね、わたし、トローチになりたいな」
 水槽の向こう側で、ヨシノが笑う気配がした。
「ぶくぶく、あわあわ…」
 そとは夜明けが近づいている。



100413



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