見つかるといいね



 その日、長芦がわたしの家を訪ねてきたのは本当に唐突だった。お天気雨が降ると無性に人に会いたくなる癖はまだ治っていないらしい。外出先で降り出されてしまったのか、全身をしとどに濡らした長芦からはまだ新しい雨のにおいがした。
「いいか三浦。珍しい色と形なのに全く同じ車が近くを走っていたら、その運転手は大抵双子だ」
 神妙な顔つきで、根拠のない自信に満ちた断言する。学校の教室以外で会ったのはずいぶん久しぶりだった。あからさまに迷惑そうな顔をしたわたしに目も向けず、長芦は玄関に座り込むと濡れた靴を両方いっぺんに脱ぎ、ついでに靴下も脱いだ。
「なあ三浦、俺は鴨は好きだがアヒルはどうも苦手なんだ。でもペットショップではいつもアヒルが売られてる。俺は悲しいよ…」
「ちょっと、そのまま入らないでよ」
 簡単に雨をはらっただけで平然と家の中へ足を踏み入れた長芦をあわてて押し返す。長芦は少しだけ口を尖らせ、足を引いて先程脱いだばかりの自分の靴の上に立った。
「まあ聞け、俺はさっきまでキュカにいた。そこで何を見たと思う?ヘビを食べるヘビだ」
「ああ、カリフォルニアキング」
「何で知ってる?!」
「昨日キュカに行って見たから」
 家族で、と付け足すと長芦が怪訝な顔をした。
「三浦の母さんは動物嫌いじゃなかったっけ」
「違った」
 適当に答えれば、長芦も「ふーん」とどうでもよさげな声を出す。こういうところは嫌いじゃないが、勢いに乗ったお喋りは止まることを知らない。
「それよりさ、次こそは絶対に驚くぞ。実はヘビキングよりもっとすごいものを見たんだ」
「なに?」
 ヘビの呼称が違うのは無視した。長芦は嬉しそうににやっと笑って小首をかしげる。癖のある黒髪がさらりと揺れて、水滴が足下に落下した。
「なんと、宝とその姉を見た」
「…」
「すごい美人だったぞ。綺麗な黒髪が宝とよく似ていた。楽しそうに犬を見て、なんとあの無口無表情無関心で有名な宝が笑っていた!」
 一度も噛むことなく自慢げに言い切った長芦に、小さなため息をひとつ吐く。
「長芦、それ多分お姉さんじゃない」
 えっじゃあ何、と長芦は間抜けな顔で聞いてきた。
 宝くんはわたしたちのクラスメイトだ。自分からすすんで口を開くことはなく、何事にもクールな彼が美人な年上の女性と付き合っているというのは、先日の一件で周知の事実となっていた。 めったに保護者など来ない日曜日の授業参観の日、その人は現れた。彼女が教室に足を踏み入れた途端に生徒達の視線は自然とそちらに集中した。その人はそれを気にする様子もなく、教室の後ろに用意されていた椅子にちょこんと腰掛け、きょろきょろと誰かを捜すように首を動かすと、ある一点でパッと顔を明るくした。次に彼女の口から「宝くん」という声が発せられたその瞬間、全員の視線が宝くんの背中に注がれ、静かに本を読んでいた宝くんがびくりと揺れた。そうしてゆっくりと振り向いた彼の顔は、普段よりほんのりと赤みを帯びて、一目で分かるほどに狼狽えていた。「どうして花代さんが」と宝くんが呟いたところで授業開始のチャイムが鳴り響き、ハッとした彼はその時初めてみんなの目線に気付くと、気まずそうに前を向き直ったのだった。
 カヨさんと呼ばれた女性は、その後も終始にこにこと、満足げに宝くんを見ていた。授業が終わる十分前には悪戯を終えた子どもが逃げるかのようにするりといなくなってしまったが、そんな中この長芦はわたしの隣の席で爆睡を決め込んでいたのだからバカだ。
「おそらく恋人だろうね」
 人差し指を立てて呟くと、長芦は撃たれたような顔をした。そこまで驚くことかと少し呆れる。そのままわたしが家の中へ引っ込もうとすると、長芦のあせったような声が飛んできた。
「三浦、どこへ行く」
「タオル」
 単語だけで答えてちらりと目線をやると、暗がりの玄関で彼がやけに安心したような顔をしているのが見えて、不覚にも少し戸惑った。

 長芦のお喋りは続く。風呂場から取ってきたタオルを投げてやると、綺麗にキャッチして頭をがしがしと拭きながら、彼はまた口を開いた。
「三浦は双子に出会ったことがあるか?」
「さあ…」
「俺はまだ。会いたくてたまらないよ」
「珍しい車が並んでるのを見つければいいんでしょ」
 先程の長芦の言葉を思い出して言ったが、全身を拭き終わった長芦は今度こそ堂々と室内に上がり込みながら、「それが難しいんだ」と肩をすくめた。
「三浦、俺はバカなのかな」
「今さら?」
「俺に、生きている価値はないのか…」
「あるよ」
 キッチンを目指して先々と進んでいく広い背中を追いながら、ボソボソ喋る長芦の声を遮るように言い切る。
「それはある」
 キッチンの前で立ち止まり、長芦はしばらく黙りこむ。ふいにこちらを向く。十センチ以上も上から、嬉しげに細められた澄んだ目がわたしを見下ろしていた。
「ありがとう三浦」
「まあね」
「一緒に双子、探そうな」
「それは断る」
 すっぱりと言い放ち、残念がる長芦に温かなお茶を用意してやりながら、ヘビを食べるヘビの話を思い出した。あのヘビのことは、わたしの父もえらく気に入っていた。キングと名の付く割には頭が悪く毒もないそうだが、餌が冷凍マウスと聞いて諦めたようだ。こうして長芦といると、ゲージの中で静かに丸まっていたヘビの瞳が鮮明に思い出される。脱皮が近いらしく、つぶらな双眸は白濁していたが、それでも強い目だった。
「見つかるといいね」
 ふいに呟けば、長芦は力の抜けるようなへにゃりとした笑顔を見せた。いつの間にか外はすっかり晴れていた。



(カリフォルニアキングヘビ)



090520



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