電話



 花代さんとは実に美人で単純で何事にも影響されやすい僕の恋人だ。
 インスタントラーメンを食べるとき、彼女はいつもお湯を入れるまえにたまごだけをより分けて食べてしまう。サクサクしたたまごを、ふやける前に細かく噛んで味わいながら食べるのが楽しいそうだ。それは別にいいのだが、先日は頼んでおいた僕の分までたまごを食べてしまったので、それをきっかけに大喧嘩になった。それからというもの、彼女は会う度いつもに増して無口で、綺麗な顔をむっつりとしかめたままだ。
「花代さん、元気?」
 今日は部活が長引いたせいで、どうしても会う時間が取れそうになかったので電話をかけた。花代さんの住むアパートは僕の家のすぐ近くだが、門限をすぎると親がうるさい。電話口の向こうからは、花代さんの『ウン』という不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「まだ怒ってる?」
『ウン』
「おれだって怒ってるからね」
『ウン』
 単調な調子を貫く花代さんに、まるで機械と話しているような気分になる。しばらくふたりとも黙り込んだ。
「でも花代さん、」
 最後に、周りに人がいないのを確認してから、小さくすきだと呟いた。しばらくして同じく、と返してくれた花代さんに少し気分が浮かれたけれど、すぐさま不機嫌な声に戻ってしまう。
『でも、わたしは謝らないぞ』
 そのことに少しムッとして、おれだって謝らないもんね、と言って電話を切ってから、後悔の念に襲われて頭を抱えた。

 次の日曜日、早朝から花代さんにメールで呼び出された。急いで家に行ってみれば、花代さんはもう家の前で待っていた。帽子を深く被って、出かける準備をしている。僕の顔を見るなり花代さんは、「宝くん、ペットショップに行こう」と僕の手を握って歩き始めた。
「え、花代さん、ちょっと」
 引っ張られるままに付いていきながら、また何か変な番組を見たんだろうかと考える。
「昨日ね、犬を見たんだけど」
「テレビ?」
「ペットショップ」
 歩きながら少し不機嫌な声を出す。
「ベルジアンなんとかっていう犬がね、宝くんにそっくりだったの」
「かっこいい?」
「黒くて大きい」
「ふうん…」
 何十分かかけてたどり着いたペットショップはまだ閉まっていた。そりゃ、こんな早朝から開いているはずがないのだが。花代さんはまるで計画外だというふうに、口を開けてぽかんとした。それがおかしくて笑ったら、僕の手を握る花代さんの力が少しだけ強くなった気がした。
「ごめんね」
 花代さんが言って、僕は「いいよ」と答えた。
「おれもごめん」
 花代さんがにんまりと笑う。僕も同じ顔をした。それから家に帰って、花代さんの言っていた犬を二人で調べた。黒くて大きな犬だった。



(ベルジアン・グローネンダール)



090518



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