生ぬるい



 みーよみーよ、と頭上では蝉がよく分からない声で鳴いていた。花は縁側に座ってただそれを聞いていた。かたわらに置いたカルピスは、いつの間にか氷が全部溶けてすっかりぬるくなってしまった。
「花」
「何だ山田」
 塀の向こうから聞こえた声に、花は振り向かずに答えた。塀を一枚越えれば隣は幼なじみの家だ。山田はよく勝手にこちらに侵入してくる。
「喉がかわいて死にそうなんだ」
「何か飲め」
「鍵がなくてさあ」
「…」
 山田はぺろりと赤い舌を出した。花が隣に置いてあるコップをコツコツと叩いてやると、塀を乗り越えてこちらにやってくる。花の家と山田の家の間に塀があるということに、意味はあるのだろうか。
「げ、生ぬるい」
「文句を言うなら返せ」
「口移ししてあげようか、」
「はいはい」
 口を尖らせてせまってくる山田を適当にあしらうと、山田はさらに口を尖らせた。何かの鳥みたいだった。
「本気にしてないな?」
「どうせ本気じゃないだろ」
「まあね」
 また塀を越えてあちら側に帰る間際、山田はこちらを振り向いてにんまりと笑った。
「花、そのスカートとてもよく似合ってるよ」
「ありがとう。山田のワンピースも素敵だ。病人っぽくて」
 花が返すと、何がおかしいのか、山田はケタケタと笑った。そしてふいに塀から飛び降りたので、花は一瞬、山田がこの世から消えたのかと思った。けれど着地して立ち上がった山田は、頭だけをこちらに見せて、「ありがとう」と微笑んだ。それを見ながら花は、「ああ、山田がいるな」と思った。変な声の蝉は、花の小さな庭の中で、いつの間にか鳴くことをやめていた。



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