一章§01

まだ陽も差さぬような時間帯から、その日は騒がしかった。
いつもであれば放っておくのだが、どうにも今回はそうはいかなかった。
というのも、それは単に騒ぎが気になったからではない。
自分の睡眠を妨害した者を、許さずにはいられなかったからだ。
すぅっと彼女は息を吸い込むと。

「もっと、静かに、出来ないの!?」
「……おはようアリア、起こしてしまったのかな?」

ぴたっと、音が止んだ。
それから少しくぐもった声が、ベールの向こうから返事を寄越した。
アリアと呼ばれた彼女は、少しつり目気味の目を更に吊り上げる。

「当たり前よ!こんなに五月蝿くされたら起きるに決まってるじゃない!」
「やれやれ、一応ベールをかけておいたんだがね」

声が近くなる。
それと同時に、ゆっくりとアリアの視界からベールがなくなっていく。
ベールが全てなくなると、今度は視界いっぱいに男の顔が映る。

少し長めの黒髪。
切れ長の、ルビーをはめ込んだような紅い瞳。
薄ら笑いを浮かべる唇。

そんな男が、アリアの顔のぎりぎりの位置にいる。
だが、アリアは気にはならなかった。
もはやそれは、自分が“ここ”に居る限り、逃れられない習慣だからか。

「…あのね、私は“鏡の中”にいるわけ。いくらベールかけても、振動が大きければ嫌でも起きちゃうの」
「ああ、それは失礼」

男は笑って、アリアに己の非礼を詫びる。
アリアはぶすっとして暫く男を睨んでいたが、やがて溜息をひとつ吐いた。
男は笑顔のまま彼女に尋ねる。

「もう私に怒らないのかな?」
「……もういいの、いつまでも怒ってたら疲れるわ…」
「それはそれは」
「ところで、朝から何してたの?」

アリアは先の話題をさっと切り上げると、今度は自分を起こした原因を尋ねた。
男は、ああと呟いた。

「急用が入ってね、ついさっき帰って来たところなんだ」
「こんな朝から?」
「そうさ。それで少しくつろごうと、色々していたら君が起きたのさ」

どうしてくつろぐだけで、そんなに五月蝿くなるのか。
アリアは疑問に思ったが、口には出さなかった。
この男の“くつろぐ”というのが、少々悪趣味なのを彼女は知っている。
だから代わりに、違う問いかけをした。

「どんな急用だったの?」
「聞きたいのかい?」
「だって私を起こした原因を作ったものよ、知りたいじゃない」
「いいよ。でも、それは後片付けをしてからでもいいかい?」

そこで漸く、男の顔がアリアの目の前から離れた。
そして、新たに視界に飛び込んできたものに、アリアは顔をしかめた。

「また貴方は…早く片付けてよ」
「言うと思ったよ」

男は実に楽しそうに笑って、床に散乱した何とも形容しがたい生き物の残骸と、真っ赤に染まった凶器の始末を始めた。
そんな後ろ姿を見つめながら、アリアはぶつくさ小言を呟く。

「全く…いくら自分の職業がそれだからって…毎回見るこっちの身にもなりなさいっての」

そう、嬉々として作業をする儀式屋の背を、暫くアリアは眺めていた。

一章§02

──…‥陽はとうに落ち、時刻は闇が支配する頃だった。

「おやすみ、アリア」

儀式屋は、既に眠ってしまったアリアの鏡に、ベールをかけてやる。
それから振り返って…ランタンの灯りにぼんやりと浮かぶ、アンティーク調の柱時計に目を遣る。
長針と短針が、もうすぐ重なりそうだ。

「…………」

彼は、物音を立てぬように室内を横切ると、玄関へ向かう。
『OPEN』となっているプレートを、反転させるためだ。

──彼がそう呼ばれるように、此処は“儀式屋”という店だ。
名前を聞く限り、誰かのために儀式を執り行っているのかと思うが、そうではない。
此処は、儀式をするために必要な道具を、すべて取り揃えた店だ。
また、執り行うための個室も用意されている。

ただし、正当な者のためにではない。
少し訳有りな者のために、だ。

「さて…今日は何人の人間が、苦しんだのやら…」

『CLOSED』とプレートを置くと、彼はふと呟いた。
…呪いをかける者も、少なくはない。
寧ろ、大半はそうした連中ばかりだ。
そして、その呪いにかかっても生き残った者が、いつか此処へ来る。
その呪いを解き、更に呪い返すために。
そうして呪いは延々と循環していく。
どちらかが息絶えるまで。
その間、ずっとこの店は必要とされる。
…そうした者が、居続ける限り。

しかし──


「……!」

部屋へ戻った直後、彼は雷にでも打たれたかのように、硬直してしまった。
それは、微かに部屋に聞こえた呻き声によるもの。
真紅の瞳を鋭利なまでに細めると、聞こえた方を見つめる。
その視線の先は、彼の机上に置かれた烏を模したオブジェ。
声は、そこから発されていた。

「…喚ブ…彼……女…」

小さく開かれた口からは、その単語だけが繰り返し吐き出された。
儀式屋はそれを聞くと体の緊張を解し、その顔に笑みを浮かべた。

「“魔法使い”が喚ばれた…」

くすくすくすくす。
笑いを零すと、彼は椅子に引っかけていた闇色のコートを羽織る。
その様子は何処か楽しそうで──そう、まるで新しい玩具でも見つけたような。

「今夜はどのくらい私を魅了してくれるかな?」

そう言葉を紡ぐとランタンの灯りを消して、彼は闇に溶けていった。

一章§03

人がいない建物というのは、不気味さを感じる。
日頃、人の出入りが激しければ尚更だ。
そして今この場所──何処にでもあるレストランといった此処は、それに当てはまる場所だった。
様々な客が出入りし、賑わうはずの場所。
しかし深夜である今、ここには誰もいなかった。
従業員でさえ、帰ってしまった無人の場所。

無人である、はずなのに──

「ああ、来たね、儀式屋クン?」

レジ横のカウンター席に、いつの間にか1人腰掛けていた。
真っ白なスーツを着て、同じく白の帽子に長い銀髪を収めた男。
その男を、大窓から差し込む月明かりが照らし、床に長く影を作った。
男はそれに向かって、声をかけたのだ。

「急な呼び出しでごめんねぇ?」
「…気にしてないさ」

そしてその影が、答えを返してきた。
否、違う、影ではない。
影の中に紛れて、儀式屋が立っていたのだ。
儀式屋は、唯一真っ白な顔にうっすらと笑いを浮かべる。

「今日、は…この時間だから、約束の日かな、サン」
「そうだよ、もうすぐ、来るよ…愚かで純粋な女の子が」

対するサンも、にこやかに笑って応対する。

「可哀相に、あの子は一週間前、此処で友情をなくした。でもそれは自分のじゃない、友人同士の友情だった。あの子は仲の悪かった2人の仲介役として居たけれど、とうとうあの日、もう後戻りも出来ないくらいに関係が悪化した。優しいあの子はそれに負い目を感じて、僕を呼んだ」

そこまで一気に語ると、最後に謳うように一言付け加える。

「そして僕はそんなくだらなさに、愛しさを感じたのさ」
「……実に感傷的なものだね」

影の男は、ただそう感想を返した。
だが決して、皮肉な言い方ではない。

あはは、とサンの笑い声だけが静寂の中で響き渡る。
仮にも繁華街に位置するのだから、車道を走る自動車の音や、人の話し声が聞こえてもいいはずなのに、全く聞こえなかった。

「だって僕は、君よりも人間には優しいからね」
「………」

儀式屋は、今度は答えなかった。
否定も肯定も、するつもりがないのか。
答えるほどのことでもないからか。

そんな他愛ない会話をしていて、ふとサンの視線が彼から逸れた。
扉の向こうに、小柄な人影が見受けられる。
サンは再度、翡翠の瞳を彼に向けると。

「さぁ、儀式屋クン。我らがお待ちかねの、レディだよ」

にこりと笑って、人指し指をすぅっと扉の下から上へ動かす。
すると扉の施錠が解かれ、戸惑いながら1人の少女が入って来た。

一章§04

かつん、こつん。
いつもとは正反対に、静謐さを保つ店内。
その中で、今し方サンに招き入れられた少女の足音が、やけに響いた。

「今晩和、僕とのお約束、守れたみたいだね、ユリアちゃん?」

段々とその距離を縮める少女に、サンは気さくに話しかけた。
びくっとユリアの体が跳ねたが、サンはうん?と首を傾げただけだ。

「どうしたの?もっとこっちにおいでよ」
「は、はい…」

指示に従い、やがて、ユリアの姿がはっきりと闇に浮かび上がった。
年の頃は13、4歳だろうか。
恐る恐るこちらを見る顔は、まだどこか幼い印象を抱かせる。
辛うじてユリアの着た制服だけが、そのくらいの歳だと示している。
ぎゅっと、肩にかけたバッグを強く握り締める。

「そんなに怖がらないでよ。何も僕は、ちゃんとお約束守ってくれたら怖いことはしないさ」
「す、すみません」

さっと頭を下げた少女に、サンはやれやれと肩を竦めた。
まぁ、どうしても自分が恐れられてしまうのは、昔からだから仕方ないのだが。
サンは一瞬だけ闇を一瞥した。
それからまた、笑顔をその美貌の中に作り、片手をポケットの中に入れる。

「さて、ここに、ユリアちゃんと約束したものがある」

すっと、オレンジ色の小瓶をカウンターの上に置いた。
丸い蓋の部分に指を当てて、サンは言葉を続ける。

「この中には、ユリアちゃんとのお約束通り、お友達が仲良く出来る魔法が詰まってる。開けば、すぐに効果は現れるよ」

そこまで言って、サンは銀髪の奥の瞳をユリアに向けた。
じっと、その小瓶に魅入られたように、ユリアはそれを見つめていた。
だが、彼の強い視線に気づき、慌ててそれから目を逸らした。
サンは笑った。

「そんなに、欲しい?」
「はい…」

素直に答えたユリアに、サンはますますその笑みを深める。

「いいよ、あげる」

だが、言葉とは裏腹に、サンは小瓶をポケットに仕舞った。
呆気にとられたように少女が見ていると、魔術師は手を差し出した。

「ユリアちゃんの番だよ。ちゃんと確認出来たら、あげる」
「あ…そ、そうです、よね」

尤もな答えに、ユリアは急いで鞄の中を漁った。
暫くして、ユリアが鞄から一枚の写真を取り出した。
そこには、ユリアではない女の子が2人、仲良く笑って写っていた。

「これで、いいですか?」
「ふぅん…?この2人が、そうなの?仲が良さそうなのに?」
「この時はまだ、2人ともそんなに仲は悪くなかったんです」

懐かしそうに、ユリアはそういった。
そんな少女を見て、サンは尋ねる。

「それが、2人との宝物?」
「はい。いつか、こんな2人に戻って欲しくて…大切な、唯一の2人との宝物です」
「それ、僕に渡すんだよ?それでもいいんだね?」
「…それで、2人が仲良くなれるのなら」

真っ直ぐに、ユリアはサンを見た。
サンも、その視線を逸らすことなく見返す。
…やがて、サンの目が弧を描いた。
ポケットに再度手を伸ばすと。

「合格だね。さぁ、ユリアちゃんにあげよう」

一言呟き、サンは約束のものを取り出した。
そして、まさに写真と小瓶が交換されようとした時だった。

闇の中から手が伸びて来て、サンの腕を掴んだ。
そして、静寂を壊さぬように闇が囁いた。


「この子は契約違反をしている」

一章§05

しん、と水を打ったような静けさが、店内を満たした。
だがそこに、先程までの穏やかさは、ない。
闇の濃度が増して、息苦しいような感覚に、ユリアはなった。

「この子は契約違反をしている」
「…………契約…違反…?」

もう一度、闇が繰り返した言葉にようやく魔術師は反応した。
己の腕を掴んでいる手を見て、それから真っ正面にいる少女を見る。
その瞳は、不思議そうな色をしていた。
本当に純粋に、ただ不思議がる子供のように、彼はユリアを見据えた。
当の本人は、その翠瞳から視線を外せなかった。
否、正確には外すことが、出来なかった。

「……何が、嘘?」

暫くして、ユリアに視線を注いだまま、サンは問いかけた。


ばんっ


突然、大きな音を立てて扉が開いた。
サンもユリアも、そちらへ顔を向ける。
入ってきたのは2人。
1人は、黒衣の儀式屋だ。
そしてもう1人は…

「マ、マサト…!?」

ユリアが驚愕の悲鳴をあげる。
…もう1人は、儀式屋の腕に抱えられている少年──マサトだった。
マサトは気を失っているのか、四肢をだらりと垂らしていた。

「どうして!?何でマサトが……」
「それを聞きたいのは私の方だ、神谷ユリア」

マサトの元へ駆け寄ると、男がそう言った。
その声は、まるで氷のように冷ややかで、ユリアを敵対しているようだった。
ユリアはその声に反応して、きっと睨みながら見上げ、怒鳴った。

「その前に、マサトを離し──!!」

怒りに任せて叫んだものの、その言葉は途中で消えてしまった。
ユリアの黒い瞳と絡み合った紅い瞳──それが、有無を言わさなかった。
ひっ、とユリアは息を呑んだ。

「神谷ユリア…説明したまえ」

儀式屋は視線を外さぬまま、そう命じた。
途端に、ユリアの意志とは反対に、口が勝手に話し出した。

「わ、私、言ったの!魔法使いに会うって!あの夜、見られて問い詰められて、だから言ったの!!」

そこまで一気に言って、ユリアの顔はさっと青ざめた。
それとは対照的な程に、儀式屋は口を三日月に歪めた。
そして“闇”は、唄うように言葉を紡いだのだ。

「魔術師、これが神谷ユリアの真実だ!」

彼の宣言は夜気に木霊し、大きく轟いた。


「…………ああ…僕はまた、人間に騙された……」


その呟きは、何処までも微かなものだった。
しかしながら、確かにその声ははっきりと聞こえた。
絶望的な程の、悲しみを湛えた声音。

「悲しいな…悲しいな…僕は、こんなにも人間が好きなのに…悲しいな……」

何処までもその呟きは続いて、次第に萎んでいった。
ユリアはその間微動だにせず、ただじっと儀式屋を見ていた。
出来ることならば、マサトを連れて今すぐこの場から逃げ出したかった。

(早く、逃げなくきゃ!!)

そう体を叱咤しているが、恐怖で固まった体は動かなかった。写真を握ったままの手が、しっとりと汗ばんできた。
心が焦り出し、足に全神経を集中させるが、1ミリたりとも動かない。
焦燥感を感じながら、ユリアは頭の中で、この噂を何度も繰り返し思い出した。
契約を破った者は『“魔法使い”の怒りに触れて、生きて帰れない』という恐ろしい掟。
今、サンは混乱しているのだろう、何も行動を起こさない。
逃げ出すのは、今しかなかった。

なかった、のに。

「サン、なら貴方はどうしたい?」

そんなユリアの頭の中を見透かしたように、儀式屋が声をかけた。
すぐに、サンはその答えを寄越した。

「罰を」

地獄の底から響くような低い声に、ユリアは震え上がった。
それから初めて、少女はサンを振り返った。

「……っ!!」

そこには、穏やかな姿の彼はもういなかった。
静かながらも殺気を剥き出し、帽子を取った銀の髪は逆立っていた。
その下に現れた翡翠の瞳を見た瞬間、ユリアの中に自然と言葉が流れ込んだ。


『オマエ、カエサナイ』


──気付いたときには、ユリアはマサトを置いて一目散に店から逃げ出した。
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