一章§03

人がいない建物というのは、不気味さを感じる。
日頃、人の出入りが激しければ尚更だ。
そして今この場所──何処にでもあるレストランといった此処は、それに当てはまる場所だった。
様々な客が出入りし、賑わうはずの場所。
しかし深夜である今、ここには誰もいなかった。
従業員でさえ、帰ってしまった無人の場所。

無人である、はずなのに──

「ああ、来たね、儀式屋クン?」

レジ横のカウンター席に、いつの間にか1人腰掛けていた。
真っ白なスーツを着て、同じく白の帽子に長い銀髪を収めた男。
その男を、大窓から差し込む月明かりが照らし、床に長く影を作った。
男はそれに向かって、声をかけたのだ。

「急な呼び出しでごめんねぇ?」
「…気にしてないさ」

そしてその影が、答えを返してきた。
否、違う、影ではない。
影の中に紛れて、儀式屋が立っていたのだ。
儀式屋は、唯一真っ白な顔にうっすらと笑いを浮かべる。

「今日、は…この時間だから、約束の日かな、サン」
「そうだよ、もうすぐ、来るよ…愚かで純粋な女の子が」

対するサンも、にこやかに笑って応対する。

「可哀相に、あの子は一週間前、此処で友情をなくした。でもそれは自分のじゃない、友人同士の友情だった。あの子は仲の悪かった2人の仲介役として居たけれど、とうとうあの日、もう後戻りも出来ないくらいに関係が悪化した。優しいあの子はそれに負い目を感じて、僕を呼んだ」

そこまで一気に語ると、最後に謳うように一言付け加える。

「そして僕はそんなくだらなさに、愛しさを感じたのさ」
「……実に感傷的なものだね」

影の男は、ただそう感想を返した。
だが決して、皮肉な言い方ではない。

あはは、とサンの笑い声だけが静寂の中で響き渡る。
仮にも繁華街に位置するのだから、車道を走る自動車の音や、人の話し声が聞こえてもいいはずなのに、全く聞こえなかった。

「だって僕は、君よりも人間には優しいからね」
「………」

儀式屋は、今度は答えなかった。
否定も肯定も、するつもりがないのか。
答えるほどのことでもないからか。

そんな他愛ない会話をしていて、ふとサンの視線が彼から逸れた。
扉の向こうに、小柄な人影が見受けられる。
サンは再度、翡翠の瞳を彼に向けると。

「さぁ、儀式屋クン。我らがお待ちかねの、レディだよ」

にこりと笑って、人指し指をすぅっと扉の下から上へ動かす。
すると扉の施錠が解かれ、戸惑いながら1人の少女が入って来た。

一章§04

かつん、こつん。
いつもとは正反対に、静謐さを保つ店内。
その中で、今し方サンに招き入れられた少女の足音が、やけに響いた。

「今晩和、僕とのお約束、守れたみたいだね、ユリアちゃん?」

段々とその距離を縮める少女に、サンは気さくに話しかけた。
びくっとユリアの体が跳ねたが、サンはうん?と首を傾げただけだ。

「どうしたの?もっとこっちにおいでよ」
「は、はい…」

指示に従い、やがて、ユリアの姿がはっきりと闇に浮かび上がった。
年の頃は13、4歳だろうか。
恐る恐るこちらを見る顔は、まだどこか幼い印象を抱かせる。
辛うじてユリアの着た制服だけが、そのくらいの歳だと示している。
ぎゅっと、肩にかけたバッグを強く握り締める。

「そんなに怖がらないでよ。何も僕は、ちゃんとお約束守ってくれたら怖いことはしないさ」
「す、すみません」

さっと頭を下げた少女に、サンはやれやれと肩を竦めた。
まぁ、どうしても自分が恐れられてしまうのは、昔からだから仕方ないのだが。
サンは一瞬だけ闇を一瞥した。
それからまた、笑顔をその美貌の中に作り、片手をポケットの中に入れる。

「さて、ここに、ユリアちゃんと約束したものがある」

すっと、オレンジ色の小瓶をカウンターの上に置いた。
丸い蓋の部分に指を当てて、サンは言葉を続ける。

「この中には、ユリアちゃんとのお約束通り、お友達が仲良く出来る魔法が詰まってる。開けば、すぐに効果は現れるよ」

そこまで言って、サンは銀髪の奥の瞳をユリアに向けた。
じっと、その小瓶に魅入られたように、ユリアはそれを見つめていた。
だが、彼の強い視線に気づき、慌ててそれから目を逸らした。
サンは笑った。

「そんなに、欲しい?」
「はい…」

素直に答えたユリアに、サンはますますその笑みを深める。

「いいよ、あげる」

だが、言葉とは裏腹に、サンは小瓶をポケットに仕舞った。
呆気にとられたように少女が見ていると、魔術師は手を差し出した。

「ユリアちゃんの番だよ。ちゃんと確認出来たら、あげる」
「あ…そ、そうです、よね」

尤もな答えに、ユリアは急いで鞄の中を漁った。
暫くして、ユリアが鞄から一枚の写真を取り出した。
そこには、ユリアではない女の子が2人、仲良く笑って写っていた。

「これで、いいですか?」
「ふぅん…?この2人が、そうなの?仲が良さそうなのに?」
「この時はまだ、2人ともそんなに仲は悪くなかったんです」

懐かしそうに、ユリアはそういった。
そんな少女を見て、サンは尋ねる。

「それが、2人との宝物?」
「はい。いつか、こんな2人に戻って欲しくて…大切な、唯一の2人との宝物です」
「それ、僕に渡すんだよ?それでもいいんだね?」
「…それで、2人が仲良くなれるのなら」

真っ直ぐに、ユリアはサンを見た。
サンも、その視線を逸らすことなく見返す。
…やがて、サンの目が弧を描いた。
ポケットに再度手を伸ばすと。

「合格だね。さぁ、ユリアちゃんにあげよう」

一言呟き、サンは約束のものを取り出した。
そして、まさに写真と小瓶が交換されようとした時だった。

闇の中から手が伸びて来て、サンの腕を掴んだ。
そして、静寂を壊さぬように闇が囁いた。


「この子は契約違反をしている」

一章§05

しん、と水を打ったような静けさが、店内を満たした。
だがそこに、先程までの穏やかさは、ない。
闇の濃度が増して、息苦しいような感覚に、ユリアはなった。

「この子は契約違反をしている」
「…………契約…違反…?」

もう一度、闇が繰り返した言葉にようやく魔術師は反応した。
己の腕を掴んでいる手を見て、それから真っ正面にいる少女を見る。
その瞳は、不思議そうな色をしていた。
本当に純粋に、ただ不思議がる子供のように、彼はユリアを見据えた。
当の本人は、その翠瞳から視線を外せなかった。
否、正確には外すことが、出来なかった。

「……何が、嘘?」

暫くして、ユリアに視線を注いだまま、サンは問いかけた。


ばんっ


突然、大きな音を立てて扉が開いた。
サンもユリアも、そちらへ顔を向ける。
入ってきたのは2人。
1人は、黒衣の儀式屋だ。
そしてもう1人は…

「マ、マサト…!?」

ユリアが驚愕の悲鳴をあげる。
…もう1人は、儀式屋の腕に抱えられている少年──マサトだった。
マサトは気を失っているのか、四肢をだらりと垂らしていた。

「どうして!?何でマサトが……」
「それを聞きたいのは私の方だ、神谷ユリア」

マサトの元へ駆け寄ると、男がそう言った。
その声は、まるで氷のように冷ややかで、ユリアを敵対しているようだった。
ユリアはその声に反応して、きっと睨みながら見上げ、怒鳴った。

「その前に、マサトを離し──!!」

怒りに任せて叫んだものの、その言葉は途中で消えてしまった。
ユリアの黒い瞳と絡み合った紅い瞳──それが、有無を言わさなかった。
ひっ、とユリアは息を呑んだ。

「神谷ユリア…説明したまえ」

儀式屋は視線を外さぬまま、そう命じた。
途端に、ユリアの意志とは反対に、口が勝手に話し出した。

「わ、私、言ったの!魔法使いに会うって!あの夜、見られて問い詰められて、だから言ったの!!」

そこまで一気に言って、ユリアの顔はさっと青ざめた。
それとは対照的な程に、儀式屋は口を三日月に歪めた。
そして“闇”は、唄うように言葉を紡いだのだ。

「魔術師、これが神谷ユリアの真実だ!」

彼の宣言は夜気に木霊し、大きく轟いた。


「…………ああ…僕はまた、人間に騙された……」


その呟きは、何処までも微かなものだった。
しかしながら、確かにその声ははっきりと聞こえた。
絶望的な程の、悲しみを湛えた声音。

「悲しいな…悲しいな…僕は、こんなにも人間が好きなのに…悲しいな……」

何処までもその呟きは続いて、次第に萎んでいった。
ユリアはその間微動だにせず、ただじっと儀式屋を見ていた。
出来ることならば、マサトを連れて今すぐこの場から逃げ出したかった。

(早く、逃げなくきゃ!!)

そう体を叱咤しているが、恐怖で固まった体は動かなかった。写真を握ったままの手が、しっとりと汗ばんできた。
心が焦り出し、足に全神経を集中させるが、1ミリたりとも動かない。
焦燥感を感じながら、ユリアは頭の中で、この噂を何度も繰り返し思い出した。
契約を破った者は『“魔法使い”の怒りに触れて、生きて帰れない』という恐ろしい掟。
今、サンは混乱しているのだろう、何も行動を起こさない。
逃げ出すのは、今しかなかった。

なかった、のに。

「サン、なら貴方はどうしたい?」

そんなユリアの頭の中を見透かしたように、儀式屋が声をかけた。
すぐに、サンはその答えを寄越した。

「罰を」

地獄の底から響くような低い声に、ユリアは震え上がった。
それから初めて、少女はサンを振り返った。

「……っ!!」

そこには、穏やかな姿の彼はもういなかった。
静かながらも殺気を剥き出し、帽子を取った銀の髪は逆立っていた。
その下に現れた翡翠の瞳を見た瞬間、ユリアの中に自然と言葉が流れ込んだ。


『オマエ、カエサナイ』


──気付いたときには、ユリアはマサトを置いて一目散に店から逃げ出した。

一章§06

(怖い怖い怖い怖い…!!!)

ユリアはレストランを飛び出した後、何処へ向かうでもなくただ走った。
頭の中は『怖い』という言葉でいっぱいだったし、他のことなど考える余裕もなかった。
ユリアはひたすら、夜の街を駆け抜けた。



もうどのくらい走ったろうか。
ぜぇぜぇと荒い息を繰り返し、ユリアは足の勢いを徐々に緩めていった。

「うぁっ…」

限界に近かったのだろう、脳が酸欠だと訴えて、少女は目眩を起こすとそこへ座り込んだ。
そうすると、ユリアはもうそれ以上動けそうになかった。
揺らぐ視界に気持ち悪さを覚え、目を閉じて何度も大きく呼吸を繰り返す。
冷たい夜の大気を何回か取り入れて、大分楽になった。

「はぁ…」

最後にひとつ、大きく息を吐くと、漸くユリアの頭は稼働し始めた。

初めに浮かんだのは、あの魔法使いのことだった。
見つめられた瞬間、頭の中に流れ込んだ言葉。
思い出しただけでも全身が総毛立ち、恐怖にぶるりと震えた。
ちらっと、背後を確認する。

「…………」

ただ、静かな街並みがそこにはあり、あの魔法使いは追ってきてはいなかった。
ほっとしてから、しかしユリアはどこか違和感を感じた。
なんだか、いつもの風景と違う気がしたのだ。
もう一度街を見渡す。
闇夜にただ、静かに眠る世界…
何だろう、とユリアは疑問を追求しようとしたが、遂にそれは解決されなかった。
今まで忘れていた、一番重大なことを思い出したからだ。

──あの店に置いてきた、少年のことを。

「……!!」

思い出した途端、怖気立った。
今、マサトは、あの中に取り残されているのだ。
それがどういう状況なのか、想像しただけでも恐ろしかった。

いくら怖かったとはいえ、マサトを置いてくるだなんて…

ユリアはぎゅっと手を握った。
その時、ふと何かを持っていることに気付いた。
その手を見て、少女は小さな声をあげた。
それは、握ったせいで少し皺々になってしまった写真。
…今回マサトをこんなことに巻き込んでしまった、原因だった。


──…魔法使いを召喚し、契約を結んだ、あの夜。
魔法使いは、ユリアに『2人との友情の証』を取引の条件とした。
もっと難しいものを要求されると思っていたのだが、そうでもなかった。
ユリアはそれを承諾し、一週間後に取引をすることとなった。
マサトに出会ったのは、その帰りだった。

「あれ、ユリア、今帰り?」

時刻は午前3時を過ぎていて、どの家もまだ寝静まっている。
誰にも会わず、無事に家の前まで辿り着いた時、ユリアは背後からそう声をかけられたのだ。
思わず少女は飛び上がりそうになった。

「マ、マサト…!」

ばっと振り返り、暗闇に朧気に浮かぶ輪郭と、よく聞き慣れた声で、ユリアはその人物を特定する。
それは、隣に住んでいるマサトだった。
活発な少年で、いわゆる幼なじみというやつだ。
彼は、珍しいものでも見るかのように、まじまじとユリアを見つめた。
その視線は居心地が悪く、ユリアは彼を睨み上げる。

「何よ…」
「どこ行ってたんだ?」
「関係ないでしょ」
「ふぅん?なら、ユリアの親父さんにそう言ってやる」
「なっ…?」

いったい、どういうつもりだ?
ユリアは急な発言に、一瞬呆けてしまった。
その反応をどう取ったのか、マサトはにやっと口角を吊り上げ笑った。

「…アレだな?彼氏の家にでも泊まってたんだろ?」
「違うわよ!」
「じゃあ言えるだろ」

否定すれば、今度はそう言ってきた。
確かに言おうと思えば、言えないこともない。
だが、本当にありのままを語って、信じるのだろうか?
それに“噂”によれば、誰にも言ってはならない、という掟があった。

だが黙秘すれば、マサトはユリアの親に今のことを言うだろう。
黙って出て来た分、それもそれでまずかった。


ユリアは頭を抱えて悩みに悩み抜いて…とうとう、マサトに語ってしまったのだ。

その時は、まさかこんなことになるとは露ほど思わずに…

一章§07

そして今夜。

魔法使いとのことを話したユリアは、もちろん取引の日のこともマサトに告げた。
するとマサトは、なんとついていくと言い出した。
それだけは駄目だと何度言っても、彼は首を縦に振らなかった。
ユリアは考える──家に戻れば、確実にマサトに捕まる。
そこで、親には友達の家に泊まると言って、なんとか彼を避けようとした。
ユリアが制服なのは、そのせいだ。

なのに、だ。


「マサト…どうしたらいいの…?」

あの時、意地でも言わなければ、こんなことにならなかったのに。
ユリアは深く後悔し、同時に憤りも感じた。
何故、契約を違反した自分ではなく、マサトがあんな目に遭うのか。
それがどうしても解せなかった。
それともあれは、マサトを人質にでもしたということだろうか。
魔法使いの「お前を帰さない」という言葉を思い出して、そんな考えに辿り着いた。
そうすれば、ユリアは帰るに帰れない。
マサトに教えてしまったことに責任を感じているユリアは、見捨てるという選択はどうしても出来ないからだ。
つまりは、マサトを助けるために再度少女はサンと会わなければならない。
その時こそ、ユリアは本当に帰れなくなる。
もしそうだとしたら…いや、これは仮定ではなく、必然だ。

自分のそんな考えに、嫌な汗が背を伝った。
逃げ出したあの時、一緒にマサトも連れていくべきだった。
かといって、あの状況下では自分だけで手一杯だったため、他人になど気が回るはずもない。
それにマサトは、あの闇を纏ったかと思うほど、影のある男に抱えられていた。
とてもではないが、敵う相手とは到底思えなかった。

はあ、と重たい溜息を吐いて、ユリアは夜空を見上げた。
夜色の雲が空を覆っていて、目眩いはずの星々はその中に埋まってしまったらしい。
街灯の明かりだけが、唯一の光源だった。
しかしそれも、ちかちかと点滅しているものだから、実に頼りなさげである。

「…これから…どうしよう……?」

無論、マサトを助けることが、最優先事項だった。
しかし、あのレストランへ戻ろうにも、今のこの足では着くには長い時間を要する。
もしかしたら、違う場所へ移動したかもしれない。
となると、もはやユリアには手の出しようもないのだが。
次々と浮かぶ最悪の場合を、想定していた時だった。

「ん……?」

ふ、とユリアは来た道とは反対側を見た。
そこから先は、街灯もぽつりぽつりとあるだけで、ほぼ暗闇の状態。
何も見えない、だが確かにユリアの耳は何かを捕らえた。
だが音が小さ過ぎて、しっかりとは聞こえなかった。
ユリアは耳を研ぎ澄まして、その音を拾おうとする。
次第にそれが、何かの単語を発していると分かった。
そしてそれが、誰の声かも。

「…り…………あ…」
「………マサト…?」

そう、その声は紛れもないマサトのものだった。
ユリアはその声が“ゆりあ”と、闇の向こうから呼んでいるような気がした。
するとどうだろう、それまで重くて動かなかったはずの足が、急に羽のように軽くなった。

少女は立ち上がると、導かれるようにふらふらと、闇へ踏み出していった。
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