おはようございます

今日は8月15日ではありませんが
8月15日に書きそびれたことを
投稿しておこうと思います


先週
18、19歳を対象にした調査で
終戦の日を知らない人が14%
という報道を見ました

解説に出てきた大学の先生は
最近は学校の日本史で現代史を
やらなくなっている影響かも…
とコメントされていました

そうでしょうか…



私が日本史を習ったのはちょっと前ですが
その時も現代史はやりませんでした

ただ
その代わり他の場で戦争について
学ぶ機会がいくらでもあったのです

戦争に無知な人が増えてきたのは
学校で教えないからではなくて
過去の戦争をもう語りたくない
と思う人が多いからではないでしょうか

そう思う理由は
いろいろあるかもしれません

悲惨な出来事を思い出したくない人
悲惨な出来事を知りたくない人
自分に関係ないと考えている人
もう終わったことだと考えている人
終わりにしてしまいたいと考えている人

この中で大多数なのは無関心の人
ではないかと私は思っています

戦争を語るとき
空襲や食糧難、家族との死別の体験
攻撃に参画することになっていったこと
戦闘行為を行ったこと
美しいことはひとつもありません

だから
無関心になると戦争のことを語れません

またその話〜?
戦争がいけないことくらい分かってるよ〜
となるからです

そんな風潮では
マスコミも報道を縮小していくのも
当たり前です

多くのマスコミには
スポンサーがいるのですから


なのに

その一方で
東アジアの緊張とどこぞの国の脅威
には無関心ではありません

戦争のことを終わりにはできない
と本当はみんな分かっているのに
無関心ではいられない
と分かっているのに
過去の戦争には無関心になろうとするのです

でも
未来に対処するには
過去の失敗と成功を学ぶしか
ありません

そしてこれまでに
戦争に発展しそうでそれを回避できた時には
多くの分野の人が意見を出し
あらゆる角度で物事を考えられてきた
ということを考えると

戦争に無関心で
誰かが戦争を回避してくれる
のは妄想なのだと思えます

誰かが戦争を回避してくれるのではなく
自分たちで回避しようと思わなければ
いけないのではないかな…

もう戦争しかない!
と叫ぶ人がいるとき
違うよ!こうするべきだよ!
という人がいないと
いけないのではないかな…

そのためには
原点に返って

なぜ戦争がいけないのか
戦争が起きたらどういうことが起こるのか
どうなったら戦争に突入するのか
ひとつひとつを学ばないといけません

その中に
戦争を回避すべき根拠と
戦争を回避できる手段が
あるはずだから…

日本では戦争の被害だけが語られがちですが
本当はそうではありません

戦地に赴き無事に帰還した人が
日常を取り戻せなかったり
精神疾患になる人が多いことが
それを物語っています

日本人でも
終戦を迎えた時東南アジアにいた人で
そのまま現地に残り
償いの気持ちで現地の復興に寄与された方が
たくさんいました

先日のニュースの特集では
秘密裏に毒ガス製造していた人が
未だにその化学反応式を覚えているのは
自分が加害者であることを忘れないためだ
と言われていました

直接的に人を殺めた人
殺めてもおかしくない場所にいた人
遠く離れて攻撃の一端を担った人
加害国側にとっても戦争は悲惨なのです

私たちは学ばないといけません



若者の戦争に関する無知は
大人たちの責任です

私たちの責任です



私たちの無関心が
次の世代の無知をよぶのです



誰かえらい人が回避してくれる
のではなく
自分たちで回避しよう
と思える人をみんなで増やしませんか?



私たちで増やしませんか?